風邪が長引いたら顎の下や首に、熱々の焼きごてを……
どれもかなりなのだが、焼灼法は相当に恐ろしい。頑固な頭痛ならこめかみに、風邪が長引いたら顎の下や首に、熱々の焼きごてをあてて皮膚を潰瘍化させる。考えただけで熱くて痛い。たとえ効果があったとしても受けたくない「治療」だ。かの医聖・ヒポクラテスが、火で治らない病気は不治である、とまで言っていたらしいから、かなり広くおこなわれていたのだろう。
ヒポクラテス以来、19世紀の半ばまでという長きにわたり、病気は体液の乱れによって生じると信じられていた。このドグマに基づいて、血液を抜く治療法である瀉血をおこなえば、体液の乱れを正すことができると考えられていた。瀉血は当時の医療パラダイムに合致していたのだ。とはいえ、どう考えてもからだによろしくない。
からだの調子が悪い時に血を抜かれたりしたら、もっと悪くなること必定だ。それどころか、場合によっては命にかかわる。実際、モーツァルトは死ぬ前の1週間に2リットルもの血を抜かれているし、ジョージ・ワシントンは、風邪の治療に瀉血をうけて亡くなっている。
瀉血専用の器具を使ったりメスで傷つけたりするのが一般的な方法だったが、その方が痛みがすくないという理由から、ヒルが使われることもあった。皮膚から血を吸わせるだけでは飽き足らず、口から飲ませたり肛門から入れたりもされたというから、想像するだにおぞましい。
どの章でも、「ホンマですか?」と言いたくなるようなエピソードが満載だ。幸いなことに、現在の医療では、この本に紹介されているような「トンデモ治療法」は一掃されている。しかし、当時の医師たちは、大まじめに考えた末におこなっていたのだし、患者達も納得して受け入れていたのである。
この本を読むと、人間というのは浅はかだと思うと同時に、たかだか200年くらいの間にいかに科学や医療が素晴らしく進歩したかに感銘をうけること間違いなし。いや、ホンマにええ時代に生きてますわ、わたしたちは。
仲野 徹 1957年、「主婦の店ダイエー」と同じ年に同じ町(大阪市旭区千林)に生まれる。大阪大学医学部卒業後、内科医から研究の道へ。京都大学医学部講師などを経て、大阪大学大学院・生命機能研究科および医学系研究科教授。専門は「いろんな細胞がどうやってできてくるのだろうか」学。著書に『エピジェネティクス 新しい生命像をえがく』(岩波新書)、『こわいもの知らずの病理学講義』、『(あまり)病気をしない暮らし』(いずれも晶文社)など。趣味はノンフィクション読書、僻地旅行、義太夫語り。