このように、戦前から明治神宮の最寄り駅として賑わった原宿駅であるが、戦後は参詣客の減少もあって一時的に賑わいを失ってしまう。代々木練兵場の跡地には連合軍の兵士やその家族が暮らすワシントンハイツができ、原宿駅やその周辺は米兵たちが闊歩する駅へ。その時のジーンズにTシャツという米兵のファッションがカルチャーショックを与え、原宿が“ファッションの街”になるきっかけになったとか。
1970年代時点で「木造建築はミスマッチだった」
戦後の一時期には廃れかけてしまった原宿駅が再び復権する契機になったのは1964年の東京オリンピック。ワシントンハイツの跡地に選手村ができて競技会場の国立代々木競技場も完成。さらに表参道などの整備も進み、こうした周辺の変貌をうけて原宿駅にも3度目の大きな変化が訪れる。オリンピック以降急速に原宿は“ファッションの街”“若者の街”に変貌を遂げて、原宿駅はそうした街の玄関口になったのだ。現代的なビルや店舗が次々に周囲に建ち並び、そうした中で大正時代の木造駅舎がひとつだけ異世界のように残り続ける。それが、昭和から現在までの原宿駅の姿である。
最先端のファッションの街に残る大正ロマンの木造駅舎。そのなんとも言えない違和感は1970年代から話題になっていたようで、1976年10月30日付けの読売新聞に次のような一節がある。
「いまや、原宿は断然、若者の街だ。何よりも、駅の“姿”がシャレていて、ナウなセンスにぴったりなのだそうだ」
この当時の言葉のセンスがどうなのかはさておいて、ファッションの街の玄関口が古めかしい木造駅舎というあたりは、確かに興味を引く組み合わせということなのであろう。
ちなみに1987年には目白駅とともにJR東日本の“山手線全駅禁煙化”の実証実験として駅が全面禁煙化されたこともある。原宿と目白が選ばれたのは、若い女性の利用が多いかららしいが、他の駅ではついぞ全面禁煙化が果たされることはなく、1992年には“分煙”に戻る。今ではもちろん全面禁煙があたりまえだから、昔日の感のあるエピソードだ。