古野まほろ『警察手帳』(新潮新書)は、ミステリー作家にして元警察庁キャリア官僚である著者が、全国の警察本部や警察庁における勤務体験をもとに、警察組織の実像を軽妙かつ的確に描く。キャリア対ノンキャリアの図式が実際には成立せず、専務(専門分野)が出世争いに極めて重要であるという事実や、刑事ドラマ頻出の「ショカツ」「ホシ」「ガイシャ」という言葉も実際にはほとんど聞かないという指摘には、ミステリー好きも驚かされるだろう。
加藤雅之『あきれた紳士の国イギリス』(平凡社新書)では、妻の転勤に伴い通信社を辞めロンドンで“主夫業”に専念する著者が、「紳士の国」という英国イメージが日々の生活の中で崩れていく様子をユーモラスに描く。電車内の飲食、化粧、通話は当たり前。女性の歩きタバコも珍しくなく、警察官も車が来なければ赤信号を渡る――。1番の笑撃はバッキンガム宮殿のティールームでも紅茶はティーバッグで、「おいしいかと言われると疑問」というエピソードだ。
巷間「京都は奥が深くわかりにくい」というが、単に料金が明示されていないだけの店も多い。大野裕之『京都のおねだん』(講談社現代新書)では、京大入学以来20年余京都で暮らしてきた著者が、「こんなに高いのか!」「これが無料なの?」と独特の値付けに振り回された局面を振り返り、その種明かしに挑んでいる。抹茶パフェから芸舞妓まで、具体的な金額を示しつつ、軽妙な筆致で読者を京都に誘っていく。
天野郁夫『帝国大学』(中公新書)は、いまだに教育界で存在感を放つ「旧帝国大学7校」の変遷を描く。現在7校の入学部生は約2万人だが、大正期はわずか2000人、昭和期でも5000人程度と少数精鋭で、政治、経済、科学などあらゆる分野で国家の根幹を担うことを期待されたエリート集団だった。在学中は過酷な試験漬けの日々だったというが、当時は帝大卒業生にだけ許された「学士」の称号も特別な響きだったに違いない。
権力者の不正や犯罪組織の活動範囲は地球規模になり、その手口は年々巧妙化しているが、それを調査報道で暴く記者たちも国境を超えて連帯し始めた。澤康臣『グローバル・ジャーナリズム』(岩波新書)は、「パナマ文書事件」の内幕を描きつつ、国際犯罪と対峙するジャーナリストの仕事の数々を紹介。特にアフリカのダイヤモンド利権を手中に収めようとしたイタリア・マフィアの野望を打ち砕いた、イタリア・アフリカ記者連合の奮闘ぶりに胸を熱くさせられた。