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オグリキャップが教えてくれた「生きる思想」――哲学者・檜垣立哉インタビュー #1

「競馬する」哲学者が語る、僕とデリダとオグリのこと

今でも吉本隆明が夢に出てきて僕を叱る

―― 哲学に興味を持たれるのは武蔵時代のことなんでしょうか。

檜垣 80年代前半って池袋西武が文化発信基地みたいな場所で、学校の帰りによく寄ってたんです。いわゆる「セゾンカルチャー」を浴びてたわけですね。で、高2だったかな、そこで吉本隆明の『共同幻想論』を角川文庫で買ったんです 。今も初版、持ってるんですけど。吉本の文庫は『心的現象論序説』『言語にとって美とはなにか』も出ていましたけど、まあ『共同幻想論』には衝撃を受けましたよ。本当に衝撃で、今でも夢に出てきますもん、吉本が。

―― え、夢にですか?

檜垣 前に何かの雑誌に論文を書いたとき、吉本隆明が夢に出てきて言うんですよ、「檜垣君、あれはダメだ」って。もう、怖くて(笑)。僕にとっては、はるか彼方の偉人なんですよ。多分一番影響を受けているのに結局生きているうちに、一回も顔をみることはありませんでした。本当に怖くて(笑)。まあ、そこから哲学みたいなものに関心を持つことになるんですけどね。

角川文庫の『共同幻想論』初版です

哲学者の名前で哲学を語ってはいけない

―― そして東大で哲学を専攻。先生はどんな方だったんですか?

檜垣 当時はハイデガーの渡邊二郎先生とか、カントをやっていて日本哲学にも詳しい坂部恵先生とかいらっしゃったんですが、私はフランス哲学だったので松永澄夫先生という、18世紀のフランス哲学が専門の方です。メーヌ・ド・ビランとか、コンディヤックとか……って言っても知らないですよね?

―― すいません、全く聞いたことがないです。

檜垣 でも松永先生のゼミは哲学者の名前にこだわりがない、ちょっと変わったものだったんです。何かに言及する時に「哲学者の名前で語ってはいけない」と。つまり「このテクストが意味するところは、コンディヤックの文脈では……」なんて言っちゃいけない。「これを読んで、君はどう思いますか?」と常に自分の思考を問われるようなゼミでした。自分より一時代前の、駒場での大森荘蔵のゼミにちょっと近い。

―― それは考える筋肉がつきそうですね。

檜垣 大学って本来そういうところなんですよ。東大総長も務められた蓮實重彦さんがある対談のなかで言っていることですが、90年代に入ったら「先生、フランス語教えてくれないんですか」って言う学生が増えてきて「もう、東大も終わりだな」って思ったって話があるんです。大学生たるもの、自分で勝手に勉強するものだったはずなのに、と。

関西だと、関東馬が大駆けする可能性がありますからね……

バブル時代に競馬予想屋になろうと本気で考えた

―― ちょうどその90年代初頭は檜垣さんが大学院生時代のことですね。

檜垣 あの頃は自分にとってあんまり思い出したくない時期かなあ。

―― というのは……。

檜垣 いつの時代の大学院生もそうでしょうが、院生ってそもそも中途半端な身分ですから、自分は哲学研究やってるけど、結局一体何やってんだろうって卑屈な気持ちが強かったんです。時代もよくなかったと思います。だからバブルが崩壊したのは嬉しかったな、「ざまあみろ」って(笑)。だって、こっちは院生で将来が見えないのに、同い年の奴が銀行とか大企業に就職して、ボーナス100万だのなんのと言ってて、ふざけんなって思ってましたから。僕なんて就職もできず、中山競馬場のスタンドをうろつきながら何とかバイトからはじめて競馬予想屋とかに雇ってくれないかなって真面目に思ってたくらいで。

―― え、本当にですか?

檜垣 冗談じゃなく、本当に。僕、院生時代に結婚しているんですけど、奥さんは就職したんですよ。それで、荒川沿いの薄暗いアパートに一緒に住んでました。初めて競馬場に行ったのがこの頃、89年の天皇賞・秋ですからよく覚えています。武(豊)のスーパークリーク、南井(克巳)のオグリキャップ。