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パリで警備員と揉めているデリダを見た

―― この頃から、競馬にのめり込むんですね。

檜垣 そうです。奥さんの友達が誘ってくれて、みんなで行ったのが最初です。世間で肩身の狭い思いをしてた時代なんですけど、レーザーディスクで名レースをボーっと観てたり、競馬場に行ったりすると気分が晴れた。鬱々としていても、春には桜花賞があり、ダービーが過ぎて夏競馬。毎日王冠で秋を想い、有馬記念で1年の終わりと新年の気配を感じる。そしてまた、桜花賞の季節が巡ってくる……。人間ってこういう人生のリズムが大事なんですよね。気持ちが停滞していても競馬が向こう側からやってきて、時間が確実に流れていることを教えてくれる。生きてると思う。競馬に救われていたところはありますね。

 それでまあ偶然ですよ、助手のポストが空いたので助手になり、続いて埼玉大学で教員として就職できた。そして90年代の末に、まだ文科省(当時は文部省)の留学制度とかがあって、フランスに初めて長期で行ったんです。僕はフランス哲学を専攻しているといっていながら、正直語学はあんまり得意でなくて、全然フランスって行ったことなかったんです。これは転機といえば転機かな。

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あ、当たったかも

―― フランスのどちらに留学されたんですか?

檜垣 ソルボンヌ大学に1年半です。あの頃は現象学のジャン=リュック・マリオンが大学にいました。

―― パリでは他にも有名な哲学者に会えたんですか?

檜垣 ミシェル・アンリとか、デリダとか。デリダはけっこう見かけましたよ。僕が留学した年にリオタールが亡くなったんですけど、その追悼シンポジウムがあったんですよ。で、会場に行ったら入り口のところでおじさんがなんか警備員と揉めてるんです。「ダメダメ、途中で中に入れるわけにはいかないの!」と、そのおじさんが止められてて。で、おじさんがムッとしながら「俺、これから登壇するジャック・デリダなんだけど!」って(笑)。

―― ハハハハハ。いいもの見ましたね。

檜垣 しまいには、入り口のところに座り込んじゃって。デリダはパリにある国際哲学コレージュという組織の仕事もしていたので、わりとそこでのセミナーにも来ていましたね。10人くらいしか参加していないデリダについての研究会なんかにも顔出してて。

―― それ、発表者もやりにくいんじゃないですか、本人を前にして。

檜垣 デリダはニタニタしながら「僕の昔の、こんなどうしようもない業績について研究してくれてありがとう」なんてコメントしてました。

ジャック・デリダ(1930-2004) ©getty

ちょっと何言ってるのかわかんない話を、みんなが聞く文化

―― 檜垣さんも直接お話ししたことはあるんですか?

檜垣 ええ、ちょうどデリダの『フッサール哲学における発生の問題』という本を翻訳する企画があったので(結局それは出版されませんでしたけど)、それを話題にしたら「あんな面倒くさい論文を訳させてしまって本当に申し訳ないね」って。

―― サインとかもらわなかったんですか?

檜垣 サインはもらわなかったけど握手はしました。フランスって、研究者じゃなくたって、哲学者に会おうと思えば会える環境があるんですよね。サルトルとボーヴォワールに会いたければカフェ「ドゥ・マゴ」に行けばいいみたいな文化が続いていて。

―― なかなか日本には馴染みがない文化かもしれませんね。

檜垣 印象的だったのは、アラン・バディウっていう哲学者がすごい人気だったこと。大学の教室を借りて、夜7時から自由参加の講義をやるんです。ロシアの詩の話と、数学の基礎論をゴチャゴチャに掛け合わせたような、ちょっと何言ってるのかわかんない話なんですけど、立ち見が出るくらい人が集まって聞いているんです。そこには学生はもちろんですけど、普通のおっちゃんもいるし、労働者もいる。

アラン・バディウ(1937-) ©getty

―― 何言ってるかわかんないけど、一応聞いとくかみたいな感じ。

檜垣 ああいう知的な活気の良さみたいなものは、日本の大学にも必要だと思っているんです。日本はいろいろな意味で制度のしばりが強すぎますよね。

 ところでフランス競馬最大のイベントにして、世界競馬の最高峰に凱旋門賞というのがあるんですけど、これにはよく学生連れて行っているんですよ。これも、フランスの知的な雰囲気を摂取しに行くという目的があるわけです……。まあ、観戦はもっと大きな目的なんですけどね(笑)。

ひがき・たつや/1964年埼玉県生まれ。東京大学大学院人文科学研究科博士課程中途退学。現在、大阪大学大学院人間科学研究科教授。著書に『ベルクソンの哲学』『西田幾多郎の生命哲学』『賭博/偶然の哲学』『哲学者、競馬場へ行く』などがある。