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「空気」は日本と中国どちらでできたのか……「漢語」の謎を解き明かす

今野真二が『漢語の謎』(荒川清秀 著)を読む

2020/04/14
『漢語の謎』(荒川清秀 著)ちくま新書

 本書の著者はNHKラジオ中国語講座やEテレ「テレビで中国語」の講師をつとめているので、ご存じの方も多いだろう。著者は、近代における日本語と中国語との語彙交流、現代中国語の語彙と文法の研究者としても知られている。つまり「中国語についてはなんでもござれ」だ。その著者の「漢語の謎」についての本がおもしろくないはずがない。明治維新によって、一八六八年を機に西洋文明が日本に流れ込んできた、というのが一般的な理解かもしれない。その時に、西洋のことばを漢語で翻訳した、うんうん知ってるよ。

 いやいや、もう少し複雑で、その複雑さがたまらなくおもしろい、というのが本書だ。与えられている紙幅が限られているので、具体的なことがらについては、本書を読んでいただくしかないのだが、とにかく「そうだったんだ」の連発であることは疑いない。以下、どのような語が採りあげられているかを紹介しながら、本書の枠組みを少し示してみよう。

 明治に先立ち江戸時代の蘭学者によって翻訳が行なわれていた。その翻訳は「逐語訳(calque)」によるものであった。本書では「半島」「回帰線」「健康」が例として採りあげられている。

 近代までは、基本的には中国語が日本語に入ってくるという「(1)中国→日本」ルートであった。明治維新後に日本でつくられた「文明」「文化」「義務」「調査」「化石」などは日清戦争後に、清国からの留学生や亡命知識人らによって中国語に入った。これは「(2)日本→中国」ルートということになる。このこと自体がおそらくあまり知られていないことであろう。

 明末から清、中華民国の初期に中国で活動していた宣教師たちは、布教活動に加えて、当時ヨーロッパで出版されていた地理書、科学書などを中国語に翻訳した。そうした漢訳洋書は鎖国下、あるいは明治期になって日本にも伝わり、そこで使われている語が日本語として定着することもあった。そうした語が日清戦争後に中国語に入ると「(3)中国→日本→中国」というルートをたどった。本書では「熱帯」「電池」「貿易風」「銀行」などが例として採りあげられている。

 第五章では、日中どちらでできたか現時点でははっきりしていない「空気」「医院」などの語が検証されている。これがまたおもしろい。日本語と中国語とで同じ語形を使っている「日中同形語」の話もいろいろと興味がつきない。

 漢字についての本はこれまでもたくさん出版されているが、漢語について、わかりやすくかつ実証的、具体的に話題にした本は少ない。語の「ルート」は文化の「ルート」でもある。そういうことを実感できるところも本書の優れたところだ。本書を読んで、是非「漢語の謎」に浸ってほしいと思う。さて、みなさんは「文明養犬」の意味がわかりますか?

あらかわきよひで/1949年、兵庫県生まれ。愛知大学教授。専門は日中対照研究など。中国語教育学会会長。NHKラジオ、Eテレの中国語講座講師としても有名。著書は『近代日中学術用語の形成と伝播』『中国語を歩く』『体験的中国語の学び方』など多数。
 

こんのしんじ/1958年、神奈川県生まれ。清泉女子大学教授。専門は日本語学。『超明解! 国語辞典』『日日是日本語』など。

漢語の謎 (ちくま新書)

荒川 清秀

筑摩書房

2020年2月6日 発売

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