独り言しか声を出していない日が続いており、オンラインで友達と話しているときが、唯一、世界と接点がある時間のように感じられる。パソコン越しの友達は平面で、立体的な友達がどんな感じだったか、身長はどれくらいで、どんな匂いがしたか、朧気になりつつある。
オンラインで友達数人とお喋りをしているとき、一人が、「私の友達のところにも来たよ、自粛警察」と言った。その人は飲食店をやっていて、自粛要請を受けてお店をお休みにするため、余った食材を処理していたのを営業中だと勘違いされたらしく、お店に「人殺し」というような内容の手紙が貼られていたそうだ。
自粛警察、という、突然流行り始めた奇妙な言葉のことを考えると、気が重くなる。たくさんのお店が嫌がらせをされているらしい。他にも、変な言葉がたくさん発生して、爆発的に広がっていく。他の県から来たと誤解された車が、「他県ナンバー狩り」という嫌がらせをされたという映像は悲しかった。悪い冗談だと思いたいが、「自粛警察狩り」という言葉まで出てきて、インターネットで、自粛警察を見かけたら懲らしめてやる、と言っている。ひどいブラックジョークの短編小説の中にいるようである。
私自身は、毎日、自分を更新し続けなくてはいけないことに右往左往している。たとえば仕事の書類を配達してもらったとき、コロナ禍の前は、なるべく丁寧に「ありがとうございます」と伝えて笑いかけていた。それを礼儀だと思っていた。今は、できるだけドアの前に荷物を置いてもらうようにお願いし、サインが必要な場合は自分のボールペンを忘れず手に持ってマスクをし、ドアの外に出るように心がけている。そうしてほしい、と訴えている宅配の方の言葉が拡散されたのを鵜呑みにしてしまっているが、それが本当に「正しい」情報なのかはわからない。リスクのある中で働いている人を不安にさせないのが今の「礼儀正しさ」だと今日は信じているが、明日には何か新しい情報が私の中に入ってきて、「礼儀正しい」という言葉を更新させなくてはいけないのかもしれない。
思えば、最初から、「自粛」という言葉の意味も人によって違い、曖昧なままだ。不安になって、
「あの、私だけ『自粛』という言葉の意味を間違えているのでしょうか?」
とメッセージを送ったこともあった。私のひきこもり生活を説明すると、「村田さん、やりすぎ!」という人もいれば、「我が家はもっと気を付けてるよ」という人もおり、ますます混乱した。
私の人生には、いつのまにか沢山の目に見えないマニュアルがあった。それを使ってなるべく礼儀正しく、なるべくルールを守って、人を嫌な気持ちにさせないように、と行動を選択してきた。目に見えないマニュアルは私に安心感を与えていた。それが今はまったく使いものにならない。変化は私を不安定にさせる。と同時に、今まで自分を構成していたものがこんなに脆かったのかと、思い知らされているのだ。
※こちらのコラムは南ドイツ新聞に寄稿したものです。
村田沙耶香
小説家。1979年、千葉県生まれ。玉川大学文学部卒業。2003年「授乳」が第46回群像新人文学賞優秀作となりデビュー。09年『ギンイロノウタ』で第31回野間文芸新人賞受賞。13年『しろいろの街の、その骨の体温の』で第26回三島由紀夫賞受賞。16年『コンビニ人間』で第155回芥川龍之介賞受賞。著書に『マウス』『星が吸う水』『タダイマトビラ』『殺人出産』『消滅世界』『生命式』などがある。