集落の皆さんとテレサ・テンで顔合わせ
もちろん家そのものも重要だったが、それよりも周囲に住む人たちの声かけがなければ、安心できなかっただろう。見知らぬ地域に飛び込んでいくことには不安が伴う。内覧時に笑顔で挨拶を交わし「住んでもらえれば活気になるね」と言ってくださった、お隣さんの一言が移住の後押しになった。
家主さんとの交渉の際に家を再訪した日には、たまたま集落で開催されていた夏の祭りに飛び入り参加を促され、集会場でのバーベキュー兼カラオケ大会で、気がついたらステージの上に立ち、言われるがままにテレサ・テンを歌うことになっていた。目の前にははじめましての皆さん。「観客席」の先頭に座り、ほろ酔い顔でリズムに合わせて手を叩いてくださった気さくな方が、区長だと知ったのもその後である。人類学者たるものまずはなんでも受け入れるべしと、興奮気味だったのもあるが、時にはえいやと思い切ったことが功を奏することもあるのだ。おかげさまで、忘れられない顔合わせの日となった。
(3)暮らしの基本はメンテナンスにあり
集落の皆さんには、年間を通して足を向けては寝られないほどお世話になった。収穫したての野菜をいただくだけでなく、初心者のずぼらな畑づくりにも辛抱強く教えをいただいた。予想に反した暖冬でたった1度だけ訪れた雪かきの時には豪雪地帯を生き抜いた経験値からすばやい対応を手ほどきくださり、自前の機械で瞬く間に広範囲の雪を吹き飛ばしてもらうのをただ眺めていたこともある。
暮らしの基本はメンテナンスにあり――それも私が学んだ教えのひとつだ。掃除を含めた適度な家事はしてきたが、広い土地と一軒家を(一時的にだが)所有するということがどういうことなのかを知らなかった私は、草刈りにもたじろぐ始末。初めて草刈り機を担いで作業し、綺麗に刈り取ったことに安心した後も、草は生え続けるのだという単純な事実を認識できず、あっというまに「元通り」になった庭を見て愕然としていた。
ちらちらと庭を気にしながらもエンジンをふかして重い草刈り機をもう一度背負う気にはなれず、気休めに近い場所から順番に手でちまちまと根っこを引き抜いていた時期がある。しばらく忙しく外を出回っていて、帰宅した日。庭が見違えるように綺麗さっぱりしていたことがあった。「ああ……」と申し訳ないという気持ちで複雑だったが、「ついでだから」とお隣さんが草刈りまでしてくださった時、家を管理するということにも技術や作法がいるのだと知った。