この本は目次順にきちんと読んでは、何が何だか分らない。読み方からして戦略的でないと、一番難関の前半で音を上げることになる。そもそも本書は端正な歴史書ではない。もちろん着流しの歴史物語でもない。歴史ゲームの攻略本なのだ。だから前半では、近代150年――場合によっては500年――を自由自在に著者は往来する。その際の攻略の武器は「嘘」である。まことに捉えどころがない「嘘」。しかし「嘘」の定義はない。それどころか著者はどんどん「嘘」にまつわる形容詞を付して拡散していく。曰く「必死の嘘」、曰く「横着な嘘」。さらに「誘いの嘘」「気休めの嘘」「健気な嘘」等々、周囲は「嘘」だらけとなる。しかもそれは理論的に整理されない。著者の感覚的表現のなかにかつ現れかつ消える。ほどよい箇所で著者は突然「私はこう思う」と断言し、自らの全身をさらし、読者を次の新たなステージに誘(いざな)う。もちろん章節ごとのゲームはクリアされたわけではない。でも著者のゲーム攻略法によれば、クリアしようがしまいが次のステージに進まねばならない。Ⅰの「〈嘘〉の起源」では、政党は500年の時空の中に登場し、今の安倍内閣にまで疾走する。無論その途中で、著者はⅢの「野党 存続の条件」への攻略を頭出しさせ、複数政党政治になるか否かが近代政治の岐路であったと断言する。そして明治時代から文芸の領域を中心に素材を拾い上げていく。Ⅱの「レトリックの効用」では、福地櫻痴の「社説」から、「政治小説」へ、そして三宅雪嶺と陸羯南(くがかつなん)に注目し、俳句の実験にまで、八艘飛びの如く「嘘」も飛ぶ。
さてⅢでは、犬養毅と安達謙蔵の人物を通して、長く野党に甘んじた進歩党系がある時期に長く与党であった自由党系を凌駕するダイナミクスが、戦前の複数政党制最大のポイントであると説く。この部分のゲーム攻略法は、著者の知的蓄積も多く、「嘘」に頼らず実証への信頼もあるから、攻略も正々堂々として読みやすい。ここまで来ればホッと安堵する。だから攻略本としては、「はじめに」に目を通したのち、Ⅲ→Ⅰ→Ⅱ、そしてⅣの「地方統治の作法」と読み進めばよかろう。
さて著者は「嘘」について徹底的に突き放しているか。実はそうではない。「嘘」も真面目な方がよく、「横着な嘘」には舌打ちしていそうである。だからトランプの政治に対しては「嘘」と認めて、なおフェイクとルビを一箇所だけさりげなくふっている。しかも「嘘」吐きとは言うが「法螺」吹きとは絶対に言わない。著者の副題をもじって言うならば、“不”真面目な政治の“生”真面目な「嘘」と言うべきか。かくて本書は補章の「一〇〇年後の日本」における「昆虫化」も含めて、「歴史ゲーム攻略本」として、「政治風俗学」とも言うべき新たなジャンルを開拓しつつあるのではないか。
いおきべかおる/1974年、兵庫県生まれ。東京大学大学院法学政治学研究科教授。専門は日本政治外交史。著書に『大隈重信と政党政治』『条約改正史』、共編著に『戦後日本の歴史認識』など。
みくりやたかし/1951年、東京都生まれ。政治学者。東大名誉教授。著書に『時代の変わり目に立つ』『オーラル・ヒストリー』など。