渡辺自身も「どん底状態」と振り返っている
羽生の永世七冠が実現したのは2017年の第30期竜王戦七番勝負であるが、この時に挑戦を受けた渡辺は明らかに成績が下降していた。結果として2017年度の年間勝率は5割を切っている(21勝27敗、0.4375)が、これは渡辺にとって自身初の屈辱でもあった。
このシリーズで筆者は第4局を除いてすべて現地を訪れ、また決着の第5局では主催紙観戦記を担当したが、9年前と比較しての渡辺の覇気のなさは気になっていた。連敗後に1勝を返した第3局ですらそうだったのだ。
当時については渡辺自身も「どん底状態」と振り返っている。長い底を抜けたのは、竜王失冠からほぼ1年後のJT杯将棋日本シリーズでの優勝だった。
短期間での逆襲と、長期間における不調からの脱出と、それぞれ状況は異なるが、渡辺はなぜ自らを立て直すことが出来たのだろうか。
前者については「挑戦者」だったことが大きいのではないかと思う。立場としては羽生の挑戦を受ける側だったが、渡辺はこの時点で羽生とタイトル戦を1度しか戦っていない(2003年の第51期王座戦)。そして実績では圧倒的に羽生のほうが格上だ。
「タイトル戦で羽生に勝たなければ認められない」という雰囲気が当時の棋界にあった。渡辺本人がそう思っていただけでなく、おそらく羽生七冠誕生後に初タイトルを獲った棋士は、共通してそのように見られていたのではないだろうか。いわば「羽生に挑戦する立場」だったことが、3連敗後の開き直りに結びついたものと考える。
どん底状態が好転へのきっかけに
対して後者はどうだろうか。渡辺は2017年度の成績低下に関して、その遠因は2013年度における自身初の三冠達成にあるのではないかともみている。三冠達成時は状態としてもベストだが、それ以降は多忙などもあり、対局への準備に時間が取れなかった。「三冠以降は勝率もよくなく、防衛戦だけを何とかしのいだという感じで、貯金がなくなった2017年度にどん底が来た」という。
だが、どん底状態となったことが好転への一つのきっかけとなった。負け続けたことで対局が減り、結果として自身のモデルチェンジを図る時間が取れたのだ。
「後手番で勝てないのが勝率低下の原因で、この対策について一番悩んだ。自分の長所を生かすためには、居飛車で普通に指すのが一番いいという結論に達した」と渡辺は言う。その結果が2019年度における三冠復帰、そして今期の名人挑戦につながっている。