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変わったのはただ「性別」だけだったのに

 こんなこともありました。本屋さんが主催する読書会イベントに参加したときのこと。参加していたのは、確か、私のほかは私と同世代の女性がひとり、もっと若い女性がふたり、初老の男性がひとりでした。男性は、女性が感想を語り終えるたびに、即座に発言をし、関係あるのかないのかわからない蘊蓄を披露していました。そんななかで、私も感想を語りました。男性は同じように蘊蓄を語ってきましたが、たまたま私は男性の語っている事柄をよく知っていたので、そのように伝えつつ、自分と男性の意見が合う点、合わない点を伝えました。男性はむっとした表情でさらに別の蘊蓄を語り、私はそれにも何かを返しました。すると男性はさらにまったく別の話をし、それは私にはぜんぜん馴染みのないことだったので、「そうなんですか。知りませんでした」と返しました。そこでようやく男性は満足げな表情で、発言をやめたのでした。

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 たぶん、私に何かを「教える」ということをしたかったのでしょう。そう、「マンスプレイニング」というやつです。けれどそうした経験が少なかった私は、それに気づかないまま言い返していて、それが男性の気に障ったのだろうと思います。こうしたことも、周りに女性と見られるようになって初めて起こるようになりました。

 でも私の言動は以前と特に変わっていないのです。職業だって、知識の程度や趣味だって変わっていません。変わったのはただ、男のひとと認識されるか、女のひとと認識されるか。どうやら、それだけで、タクシーの運転手さんはため口になり、見知らぬ男性は私に知識で上回ろうとしたくなるようです。

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 そういうふうにして、私は「女性は見下される」ということを、身をもって経験することになりました。「女性である自分に対する男性たちの態度と、男性の知人に対する男性たちの態度との違いに気づいて愕然とする」というエピソードをよく聞きますが、なんと私は自分の身ひとつでその落差を味わったのでした。

男性が女性を見下すように、女性が向ける「審査の目」

 こうした経験をする一方で、性別移行して経験するようになったけれど、たぶん多くのひとにはなじみがないのではないかということもあります。

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 もともと、周りに女性として見られるようになって、自分の外見が「審査」の対象となり始めたらしいということには気づいていました。見知らぬ男性たちが私を見ながら、「背高え。でもああいうのもありだよな」「いや、あれはなしだわ」などと言う。私はとにかく背が高いので、主に身長に関して「あり」か「なし」かを語られるのですが、もちろん顔や服装について何かを言われることもあります。何にしても、どうやら彼らにとって私は大っぴらに外見を論評し、「審査」をしていい対象と思われているようです。