200メートルおきにその爆音がないか確認するほど飛行機を恐れた
牟田口軍司令官が叢軍曹だけに、この仕事を命じるのは、飛行機に対して臆病なことを、ほかの兵に知られたくないからだ。叢軍曹は、そんなふうに感じた。
牟田口軍司令官は、それほど飛行機を恐れていた。しかし、インパール作戦開始にあたって、協力部隊である第5飛行師団の支援を拒絶していた。それは航空作戦についての知識を欠いていたのと、歩兵だけでやれるという頑迷な考えのためであった。
軍司令官に劣らず飛行機を恐れたのは、作戦参謀の平井中佐であった。当時は連合軍の飛行機がさかんに飛ぶので、行動は夜間に限られていた。平井参謀は夜間の行進中でも、自分の乗っている自動車を、ひんぱんにとめさせては、運転兵に、飛行機の爆音が聞こえるかどうかを確かめさせた。対空警戒は必要であるにしても、平井参謀は、ほとんど200メートルおきに自動車を停止させた。このため、平井参謀の車は、いつもおくれた。
無視されるたえがたい屈辱
牟田口軍司令官は、インパール西南方の山中の小部落モローに移った。そこに弓第33師団の司令部があった。牟田口軍司令官が到着した時、司令部には、まだ柳田師団長がいた。その時には、解任の発令がされていなかった。
牟田口軍司令官は柳田師団長に会おうとしなかった。戦況の報告は、師団参謀長の田中鉄次郎大佐から聞いた。そのあとも、田中参謀長と会談し、柳田師団長を全く無視していた。柳田師団長にとっては、たえがたい屈辱であった。
田中信男少将はトルブン隘路口の敵を攻撃することを考えた。師団長心得としての最 初の戦闘である。気持は勇躍していたが、単身赴任の途中で、部下をつれていなかった。松木連隊は輜重兵ばかりだから、戦闘には未熟だった。小銃隊を編成するとしても、510名ぐらいしかいないということだった。
「この付近には、部隊はいないのか」
「部隊はいませんが、師団の副官が遊兵を集めています。師団長閣下が到着されるというので、お迎えに参ったところでした」
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この続きは、『全滅・憤死 インパール3』(文春文庫)に収録されています。