あせりたち、戦術の基本を無視する牟田口軍司令官
5月10日。牟田口軍司令官の新計画により、山本支隊は夜襲を強行したが、失敗に終った。
翌11日。牟田口軍司令官は、さらに攻勢重点を変更した。今度はインパールの西南に迫っている第33師団によって、活路を開こうとした。このために、数個の部隊の集中を計り、弓の正面に急速に転進することを命じた。さらに、牟田口軍司令官と軍参謀長久野村中将はモローに先発した。牟田口軍司令官は雨季前の最後の機会をつかもうとしていたのだ。しかもまた、異常な執念といえるものがあった。軍参謀長まで同行させたのは、久野村中将が茶坊主のような存在でもあったからである。
河辺方面軍司令官は方針を無視されたのを不満に思い、再考を促した。ところが返電により、中方面軍参謀長が同意したことがわかった。河辺方面軍司令官はその優柔不断を怒り、かさねて重点変更の中止を命じた。だが牟田口軍司令官は従わなかった。牟田口軍司令官はあせりたち、狂奔していた。
軍司令部の移動には、多くの重要な処置が必要である。それを誤れば、軍の指揮が混乱する。しかも第15軍司令部は、約400キロの遠距離を移動するのだ。陸軍の戦術の教程では、攻勢重点の変更は容易にすべきではないと教えていた。その理由は、攻勢重点の変更は表面だけの計画に終り、実際の兵力、火力の重点配備を変更することは困難か、不可能であるからだ。いわば、馬を河中に乗りかえる危険、というよりも、愚行をあえてするものであった。
牟田口軍司令官は、みずから、この戦術の基本を無視した。そればかりでなく、自分の命令一下、それがただちに実現すると信じていた。久野村参謀長以下の第15軍の参謀たちは、ひとりとして、その困難を説明し、無謀をいましめる者はなかった。
「わしの壕だけでよいぞ」小休止の時にまで壕を掘らせる
移動する途中の牟田口軍司令官の行動には、奇妙なものがあった。牟田口軍司令官は連合軍の飛行機の襲撃を、ひどく恐れていた。移動の途中は、時どき小休止をした。その場所に、全く空から見えないように、大きな木の下を選ぶのは、一般の対空警戒と変りはなかった。だが、そのような場合でも、牟田口軍司令官は、まっさきに衛兵司令の叢良成軍曹を呼んで命じた。
「叢、ここへ壕を掘れ」
壕を掘るのは、叢軍曹にきまっていた。衛兵中隊長と衛兵は、軍司令官を遠まきにして警戒していた。牟田口軍司令官は、いつも、叢軍曹に同じことをつけ加えていった。
「叢、わしの壕だけでよいぞ」
ビルマとインドの土はかたかった。叢軍曹は手を痛くして掘った。だが、小休止だから、時間は短かった。たいていは、いくらも掘れないうちに出発になった。そのたびに、叢軍曹は腹のなかでつぶやいた。
「なにも、小休止の時になんか、壕を掘らせることはないやないか」