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ベロッキオ コルレオーネ派とパレルモ派によるマフィア抗争の大きな特徴は、何よりも殺人の数の多さでした。映画では、殺された人々の数の多さを見せるために、新聞のヘッドライトとしていくつもの数字を表しました。少し心配だったのは、過去に同じ題材で作られた数々の映画やドラマに比べ、自分たちの表現が小さく圧縮されたものにならないか、ということでした。長年の抗争と裁判における数多くのエピソードを、たったひとつの作品にまとめなければいけなかったわけですから。

 基本的に、殺害シーンにおけるほぼ全てのエピソードが事実に基づいています。サルヴァトーレ・インゼリッロの息子ジュゼッペが腕を切り落とされて殺される場面もそうです。ただしあまり残酷な見せ方にするつもりはなかった。過度に暴力化されたものにはしたくなかったからです。ファルコーネ判事の殺害場面を車の内部からの視点で撮ったのも同じ理由です。爆発の瞬間を劇的に見せるのではなく、殺しとはどういうものなのか、その本質をしっかりと描きたかった。観客に媚びるような、暴力描写自体が快楽をもたらす映画とは違う、自分なりのスタイルでこの歴史的なマフィア抗争を描きたいと思ったのです。

©Lia Pasqualino

マフィアたちは『ゴッドファーザー』をどう見たか

――マフィアの抗争や裏切りを題材にした映画となると、やはりいわゆるハリウッドで作られるエンタテインメント要素の強いいくつかの映画を思い浮かべてしまいます。監督ご自身は、ジャンルとしてのマフィア映画については何か意識はされていましたか。

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ベロッキオ マフィア映画といっても必ずしもジャンル映画にはかぎらないと思いますよ。傑作と呼べるものも多く存在します。なかでもコッポラの『ゴッドファーザー』(1972年)は、ジャンル映画という枠を超えた傑作と言えます。実際のマフィアの人々は、自分たちはただの犯罪者ではない、ヒーローとは言えないまでも彼らなりの正義や騎士道があると考えています。彼らにとって『ゴッドファーザー』は、自分たちに倫理的正当性を与えてくれた作品なのです。アメリカの話ではありますが、イタリアのマフィアたちの多くが、マーロン・ブランドに自らの姿を投影した。聖書とまでは言わないけれど、彼らはこれをひとつの芸術的ドキュメントとして考えていたわけです。

――この映画を見ていて非常に興奮したのが、大裁判での様子です。檻に入れられたマフィアたちというどこか異様なシチュエーションや、あの演劇的な場所は、実際の裁判の様子にかなり近いものなのでしょうか。

ベロッキオ あの檻は今も使われているものです。幸運にも実際の法廷を撮影に使えたので、撮影中は当時を追体験する感覚を持つことができました。檻の中から挑発的行為をするマフィアの姿は、すべて実際の出来事をもとにしています。いくつもの裁判のなかで起きたことをひとつにまとめて見せてはいますが、エピソード自体はすべて本物です。たとえばマフィアのボスの一人ルチアーノ・レッジョが、檻の前に並んだ警察官たちが自分をずっと見つめていることにイライラして抗議の声をあげますが、実際にも同じようなことが起きたそうです。彼らの様子はときにグロテスクで、どこか演劇的ですらあります。