奨励会は「傍目で見て、甘くないとも思いました」
――お父様は昔から大学将棋でトップ争いをしている早稲田の出身だったのですね。大学で将棋に熱中した経験から、未蘭先生に強い人と指せる機会を作ってくれたのでしょうか。
野原 父は強い人と指すのが一番の勉強と考えていました。富山から東京に出るのは金銭面でも大変なのに、しょっちゅう東京の大会に出させてくれました。女性大会や、令和最強戦(トップアマが集まる高額賞金大会)など、年に15回くらい東京遠征していました。
弱いうちは大会で「なんでこんな手を指したんだ!」と父にガミガミ怒られていましたけれど、強くなるにつれて次第に言われなくなりました。
――小6では倉敷王将戦全国ベスト8ですし、中3では中学生名人戦優勝と男女混合の大きな大会で実績を残しました。奨励会受験は考えなかったのでしょうか。奨励会試験には大会成績によって受験生同士の対局がメインの1次試験が免除になる制度があり、中3では1次試験免除資格もあったわけですが。
野原 小6や中1では考えませんでした。でも中3で中学生名人になったときは、周りからも「奨励会受けるんでしょ」と言われました。「入ってみていけそうなら四段を目指せばいいし、それがダメでも強い女流棋士になれる」と。一方で、ライバルだった男の子からは「奨励会は当番もあって前泊もしないといけない。富山から通うのは大変」と聞きましたし、すごく強いと思っている女性が奨励会で苦戦しているのを傍目で見て、甘くないとも思いました。
「この先はまずは実力をつけ、目の前の女流棋戦を頑張らないと」
――男子と同じ条件で四段を目指すという思いは持てなかったのでしょうか。
野原 そうですね。その覚悟は持てなかったです。もちろん強くなりたい気持ちはありました。でも、男子は奨励会を抜けるしか道がないのに、自分は強くなって女流棋士になれればいいやと奨励会に入るのは、違うような気もしました。四段になる覚悟がないのに入るのは失礼だとも。迷ったのですが、結局見送った感じです。
――この先も奨励会に入ることは考えませんか。女流でタイトルを取ったりして男性棋戦出場権を得て勝ち星を重ね、棋士編入試験を受ける道もあります。
野原 高1で5級受験が必要だった(年齢によって受けられる級に制限があり、平手メインの試験対局になる6級は、15歳までしか受験できない)昨年が奨励会試験ラストチャンスでした。この先はないと思います。棋士編入試験は、女流タイトルを取って、男性棋戦で勝てるくらいにならないと考えられないです。まずは実力をつけ、目の前の女流棋戦を頑張らないといけません。
中学選抜で優勝「一番と言っていいくらい嬉しかった」
――中学選抜(男女別に県代表を決める中学生の大会。全国大会は山形県天童市で行われる)女子の部では1年で準優勝、2年で3位、3年で優勝でした。
野原 3年生で優勝できたのは、多くの大会の中でも一番と言っていいくらい嬉しかったです。中学生で一番格式の高い大会ですから。
1年生のときは、決勝で時間切れ負けをしてしまいました。勝勢で詰みがあることも分かっていたのに「確認しなきゃ」とじっくり考えてしまって。時計の音に「あと数秒」と気が付き、慌てて王手して時計を叩いたら切れてしまいました。相手もびっくりしたと思います。いつもは詰みが見えたらパっと指すのですが、その時は不思議な感覚でした。決勝で緊張していたのと、谷川浩司九段(将棋連盟会長として来場していた)がご覧になっていたのもあったかもしれません。男子の部決勝は王手放置で決着が付き、すごい年だったと言われました。