対局相手が「何をされたか分からないうちに負けていた」
――今年の2月には英春先生と「激レアさんを連れてきた。」(テレビ朝日系)に出演されて、「謎のおじいさんが生み出した秘伝の将棋の技を教わったら、将棋界最強の女子中学生となってしまった女の子」と紹介されていましたね。
野原 地上波だけあって、反響はすごかったです。番組は面白くまとめられていて、学校で歩いていても「激レアさんだ!」と口々に言われ、恥ずかしかったです(笑)。
――勝てなかった男の子に英春流で勝ち「何をされたか分からないうちに負けていた」と言われたことも番組で紹介されていました。
野原 通い始めて10カ月後、小5の5月の倉敷王将戦県大会で、その子に勝って初めて代表になることができました。その子はとても強かったから、富山の小学生の間では、絶対に勝てないみたいな雰囲気がありました。でも、私が勝ったことで「もしかしてオレも勝てるんじゃね」とみんなが思ったみたいで、次の小学生名人戦の県大会では、その子は別の子に負けてしまい、決勝では私がその別の子を倒して代表になりました。
――未蘭先生が勝ったことで、富山の小学生のレベルが上がったんですね。
野原 そうかもしれません(笑)。みんなやる気がでたような気がします。
教室では1人の人間として認めてもらっている気がしました
――女子小学生大会の駒姫名人戦(東京や横浜のデパートの将棋まつりで行われる)にも、小2から参加されていましたね。
野原 小学生の頃は、自分から「この大会に出たい」という気持ちはなくて、父が調べて申し込む感じでした。駒姫名人戦は夏休みに行われるので、大会のあとは東京観光を計画して私が楽しめるようにしてくれました。富山では将棋を指す年齢の近い女の子はいなかったので、東京に来ると「これだけ将棋を指す女の子がいるんだ」、「小学生の女の子だけで大会が成立するんだ」と新鮮でした。小5、小6ではAクラスで優勝することができました。
――確かに女の子は少ないですね。富山では将棋仲間は男の子ばかりで、寂しい思いや嫌な思いはしませんでしたか。
野原 初めに通った教室では、将棋が終わったら男子も女子も関係なく一緒に遊んでいました。大会でも「野原に負けたくない」と言われることはあっても「女子に負けたくない」とは言われなくて、1人の人間として認めてもらっている気がしました。大人の方からは、めったにいない女子に将棋を続けてもらいたいと可愛がってもらったと思います。
――男子が圧倒的に多い将棋界で、女子が強くなる条件の1つとして「男子の輪の中に、女子とあまり意識されることなく溶け込める」があると考えています。未蘭先生は、その能力があったと思いますか。
野原 そうですね。あるほうだと思います。周りに恵まれていたかもしれません。
「早稲田の皆さんにはとても良くしていただきました」
――社団戦(東京アマチュア将棋連盟が主催する1000人規模の将棋大会で年5回ある。自由に作る7人チームの団体戦で、棋力別に1部から7部に分かれている)では、1部のオール早稲田チームに参加していましたね。
野原 父が早稲田大学将棋部の出身で、レギュラーではありませんでしたが、今でもOB同士強いつながりがあります。私が中学生名人になったとき、OBで早稲田関係の社団戦チームの世話役的な方が「すごいことだよ。良かったら娘さん、1部のチームで参加しないか」と声をかけてくれました。父も「社団戦1部なんて、強いアマばかりで勉強になる」と勧めてくれました。社団戦前日にはOBの方で中学生名人お祝い会も開いて下さいましたし、社団戦では勝てば「よくやった!」、負けても「すごく強い人だから仕方ない。勉強になったよね」というアットホームな感じ。現役生も交えた研究会に何度も誘ってくれ、早稲田の皆さんにはとても良くしていただきました。