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「やっぱり、やらせて下さい。何とかお願いします」

 同年6月、八重樫は日本ミニマム級王座を獲得したが、最初の防衛戦の約2週間前、今度は目を痛めて練習ができなくなってしまう。網膜剥離の一歩手前だった。

「僕が『引退しろ。身体を壊してしまうから』と言うと、八重樫は『分かりました』。で、コミッショナー事務局に連絡して『(王座を)返上します』と伝えると『暫定、ということでも大丈夫ですよ』と言って貰えたのですが、丁寧にお断りしていたところにキャッチホンが鳴り……八重樫からでした。『やっぱり、やらせて下さい。何とかお願いします。覚悟を決めました』と言うんです」

 土壇場で懇願して引退回避した八重樫。3階級制覇どころか一度も世界を制することなくリングを去っていたかもしれなかったのだ。もっとも現実は彼の覚悟を試すかの如く厳しく、第1ラウンドからダウンを喫してしまう。

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「ぶっつけ本番だから勝つなら前半、と思ってましたから……ちょっと無理かな、早目にタオル投げないと……と思いました。だけど、そこから辻選手に教わった“気迫”で段々盛り返していって逆転勝ち……あの諦めない気持ち、お見事、でした」

©iStock

 八重樫の現役時代は怪我との戦いだった。

「怪我をしない身体を作るための練習を、最初は僕がアドバイスしてやりましたけど、あとは自分で色んなことを見つけてきて取り入れてました。たとえばサプリメント。八重樫の知識量はボクシング界随一でしょ。練習前、まるでお菓子屋さんみたいに色々なサプリメントを並べてて、若い選手から質問されると『これは~で』と、摂り方まで丁寧に説明してました。間違えたら大失敗する“水抜き”という減量の仕方も『塩分濃度が~』とか詳しくて完璧にやってましたし、それを、うちのジムでアマデビューした子にも教えてくれて、完璧に仕上げてくれてました」

“綺麗なスタイル”から“真っ向勝負スタイル”に変化

 そういう、ボクシングに取り組む“意識”だけでなく、実はボクシングの“スタイル”も変わっていく。パンチを貰うことを厭わずに攻め込んでいく真っ向勝負スタイルで試合後は顔をボコボコに腫らし、“激闘王”と呼ばれていたが、最初からそうではなかった。

「以前の彼は尚弥のように足を使って相手に打たせない、奇麗なボクシングスタイルだったんです。それを、相手に近付いていくスタイルに変えていきました。日本チャンピオンになった頃には反応が鈍くなってましたから、網膜剥離で落ちた視力をカバーする意味もあったんでしょう。相手との距離があればそれだけ強いパンチが出せるけど、距離が短ければ強いパンチを出しにくい……そうやって相手の良さを消し、自分は、引き付けて強いパンチを打てるようにしていった……彼が本来やりたいボクシングではなかったはずですけど、そうやって勝っていったわけです」