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“ごくフツーの兄ちゃん”八重樫東はなぜ世界王者になれたのか――大橋会長が明かした進化

2020/10/04

「人間って、これだけ変われるんだ、と思いましたね」

  所属ジムの大橋秀行会長がこう語るのは、9月1日に引退を発表した3階級制覇の元世界チャンピオン・八重樫東(あきら)のこと。

「妥協しない練習をするボクサーの鑑でしたけど、最初からそうだった訳じゃないんです。16年間見てきましたが、デビュー当時のイメージからすれば誰も3階級制覇するなんて思いませんよ。正直言って、一生懸命やっているようには見えなかった。ごくフツーの兄ちゃんだったんです、アキラちゃんは(笑)」

2011年10月24日、WBA世界ミニマム級王者に ©AFLO

 最初のキッカケは怪我だった。07年6月、最初の世界戦(12回判定負け)で八重樫は顎を2か所、骨折してしまう。入院した八重樫のところに大橋会長は、本を持っていった。

「『これを読むことが練習だ』と言ってね。僕は現役のとき、よく本を読んだんです。プロボクサーって結構、暇な時間があるので、そこで何もしないでいたらダメ人間になっちゃうと思ったんですよ(笑)。アキラちゃんのところには自己啓発本を持っていったんですが、それを境に前向きな言葉だけ口にするようになりました。それまでは『どうせ自分なんて……』という言葉を口にするタイプだったんです。大学ではエリート中のエリートってわけじゃなかったからでしょうね」

あの試合で「ボクシングに取り組む姿勢が変わった」

 怪我から再起して2試合目(08年7月)、八重樫は辻昌建選手と戦って負けている。その辻選手が翌年3月、別の選手との対戦でKO負けしてリング上で意識不明となり、急性硬膜下血腫で3日後に亡くなってしまった。大橋会長は「あれで八重樫のボクシングに取り組む姿勢が本当に変わりました」という。

「辻選手に、死んでもいい、というくらいの“気迫”でこられて、負けて、自分に足りないモノが、よくわかったと思うんです。その辻選手が亡くなってしまったわけで……。

 世界チャンピオンになるような選手には最初から気迫があります。僕の大橋ジムで最初に世界チャンピオンになった川嶋勝重(WBCスーパーフライ級)もそうでした。八重樫のデビュー間もない頃、僕と川嶋と八重樫の3人でいたとき、『10億円くれたら負けるか?』って話になったんです(笑)。もちろんボクシングに八百長はありません。あくまで例え話ですが、僕と川嶋は『そんなんじゃ負けない』と即答し、八重樫の答えは『ちょっと考えます』……。僕も川嶋も、コイツはチャンピオンになれないな、と(笑)」