「国民的物語」を作ることの困難さ
朝の連続テレビ小説や大河ドラマを作ることは、年々困難になっている。SNSの普及は、それまでとは比較にならない数の視聴者の意見に場を開いた。だがその意見が常にフェアな、的確な意見とは限らない。集団心理や同調圧力に取り憑かれた、離れた場所から見れば常軌を逸したようなバッシングがネットに渦巻き、その波に乗って大きなアクセスを獲得しようとするメディアがそれに拍車をかける。
作り手たちはいまや「上からの圧力」だけではなく、ネットからの攻撃に翻弄されながら物語を作り、演じなくてはならない。しかも視聴者の信条や感性は同一ではない。SNSでリベラルな意見が可視化される一方で、ここ何年も与党の支持率は過半数をこえ、対する野党の支持率ははるかに低いのだ。その分断状況の中で、多数の視聴者に向けて「国民的物語」を作ることは困難をきわめる。
15日、先週木曜の『エール』のあとを受ける情報番組『あさイチ』では、「朝からリアルすぎないかという声も多少あったみたいですが、実際はもっと悲惨な…」というコメンテーターの「朝ドラ受け」もあった。それはインパール作戦を描いた回に対する視聴者からの反応の複雑さを思わせた。
『歴史の正しい側』が見えているとは限らない
アメリカの超人気歌手、テイラー・スウィフトを描いたドキュメンタリー「ミス・アメリカーナ」はNetflixで公開され、その中で彼女が故郷テネシー州の選挙でトランプ陣営に反対し、民主党候補を支持する声明を出した舞台裏を撮影したシーンがある。「私は歴史の正しい側にいたい(I need to be on the right side of history.)」という言葉は日本でも大きく報道され、左右の陣営からそれぞれ称賛と反発を呼んだ。
だが、その後に続くテイラー・スウィフトの言葉を伝えた記事は少ない。「たとえ(自分の応援する候補が)勝つことが出来なくても、少なくとも挑戦したい」(And if he doesn’t win, at least then I tried ) インスタグラムのフォロワーが1億人を超えるスーパースターでありながら、彼女は故郷テネシー州で敗北の可能性を予感していた。
そして彼女の予感通り、テネシー州の選挙で勝ったのはトランプ側の候補だったのである。
一方ではアイス・キューブのようなアフリカ系のヒップホップアーティストが、支持層から激しい反発を受けながらトランプキャンペーンへ参加しはじめる現象も起きている。BLM運動を支持し、激しく現政権を批判してきたアイス・キューブの『ローリング・ストーン』でのインタビューを読むと、そこにあるのはトランプ個人への共感や賛同ではなく、それ以上にバイデンが象徴する白人的富裕リベラルの欺瞞に対する反発に見える。
『歴史の正しい側』にいたい、そう思わない表現者はいない。だが歴史の正しい側が、歴史の中にいる人間から常に見えているとは限らない。『エール』で窪田正孝が演じる作曲家、古山裕一も、ミャンマーの森で戦争の現実をみるまでは、自分の音楽が歴史の正しい側にエールを送っていると信じていたのだ。