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小説を書くのは、人の顔色を窺わないでできる唯一の行為だった

――そして、次の『コンビニ人間』で芥川賞受賞となりました。今、作家生活13年目ですよね。振り返ってみて、どんな道を歩いてきたように感じますか。

村田 本当に自由に書いてきたんだなって思います。ボツの時も苦しかったけれど、でもあの時ボツになったものを出していたら、作家生命は終わっていたなと思います。駄目なものを書いていた時期だからボツになったことは全然悪いことじゃないんですよね。でも本当に、書きたくないものを書いたということがないんです。本当に自由でしたね。たぶん村田が馬鹿なことをやっているなと笑われているのかもしれないけれど、でも勇気がいちばん大事かなと思っています。恐れず13年間のびのびと書いてきて、それでちゃんとお仕事がもらえてきたことが奇跡ですよね。

 私はすごく人の顔色を窺う子どもだったんですが、小説を書くというのは、人の顔色を窺わないでできる唯一の行為だったんです。それこそ馬鹿にされたり笑われたりすることを恐れないで本当に自由にできる、本当に聖域のような、自由にいられてお祈りができる教会のようなものだったんです。でも中学の頃だったか、一度だけ新人賞に応募しようとして書いたことがあったんです。それは、自分にとっては小説を汚したような経験でした。応募するために小説を書くのは必ずしも悪いことではないのですが、その時の自分は未熟で、それが誰かの顔色を窺って書くような、小説を汚す行為になってしまって。高校時代と大学時代に書けない時期があったのは、もう小説を汚すようなことはしたくないし、自分にはできないと思ったからでしょうね。それが大人になっても忘れられないんです。

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 だから今は、何を思われても、とにかく自由に小説の声みたいなものにだけ従って書くということを、本当に単純にやっていていいと思っているんです。大人になってからこんなに単細胞でいられるのは、中学校の時に複雑な失敗をしたからかもしれません。

――コンビニ人間であることがアイデンティティーの主人公のように、小説家であることが村田さんのアイデンティティーというところがありませんか。

 

村田 あると思います。宮原先生が教えてくださった言葉に、「作者は小説の奴隷である」というのがあって。だから私も、本当に単細胞の奴隷であればいいんだと思っています。小説がそうなりたがっている形があればその形にしてあげればいいし、自分が書きたいことはあったとしても小説がなりたがっている形が別にあるならば、自分の書きたいことは置いておいて、小説の形のほうに従えばいい。本当に単細胞で馬鹿ですよね(笑)。でもそれが喜びです。分かりやすく自分の人生を生きている感じがします。

――24時間小説家ですか。

村田 そうですね。なぜ寝るのかといえば明日小説を書くためだし、なぜコンビニでアルバイトをしているのかといえば、やっていたほうが小説が進むという。ただそれだけの理由です。奴隷の喜びみたいなものがあるんでしょうね。今37歳という年齢で、こうやって単細胞に小説を書けていることが幸せです。それは背負わなきゃいけないものを放棄しているからかもしれませんが、本当に、小説のことばかり考えて、単細胞のままコンビニでバイトしながら書いている、そういう馬鹿でいられる幸せみたいなものを感じています。

――今後はどんなものを書いていきたいですか。

村田 『しろいろの街の、その骨の体温の』や『コンビニ人間』で書いてきたような、自分ではリアルだと思っている描写と、『消滅世界』や「生命式」で書いたようなヘンテコな世界をどこかで融合させたいんですよね。そういう野望があるんでしょうね。今ふたつの小説を書いているんですが、ひとつはそのチャレンジをしているつもりです。