空気の読める悪役
劇場映画となれば、鬼滅の刃のメイン層である子供たちは炭治郎、善逸、伊之助、禰豆子といった自分と同年代の「鬼殺隊低年齢チーム」が大活躍するのを期待して劇場にやってくる。『鬼滅の刃』の物語上、子供観客の人気が高い低年齢チームはこの段階では猗窩座たち上弦の鬼にはまだ太刀打ちできず、かと言って弱い鬼をゾロゾロ出せばいいのかというと、首を斬らなければ鬼は死なないという設定上、映画の大銀幕に大量の生首が転がりまくるという非常に好ましくない状況になる。
魘夢というキャラクターの優れた点は、たった一人で鬼殺隊の相手を引き受けつつ、走行する列車を乗っ取って触手を伸ばして乗客を食おうとすることで、「触手を斬り払って乗客の命を守る」という絶好の活躍の場を鬼殺隊チームに与えてくれる点である。これなら剣を振るうたびに毎回ザコ鬼の生首が転がって「さすがにコレちょっとどうなの」と親御さんに思われることもなく、斬っても斬っても生えてくる触手を薙ぎ払う炭治郎や善逸を安心して応援できるわけである。
魘夢は映画の前半から登場し、「せっかく映画館に来たんだから、炭治郎の水の呼吸が見たいな! 大暴れしたいな!」とワクワクしている子供たちの前で、炭治郎や善逸たちのそれぞれの得意技でバッサバサと触手を斬られてみせる。煉獄さんという格の違う炎柱に対しては、斬られる触手の数で炭治郎たちとのパワー差測定もわかりやすく示して見せるし、「首が斬られて転がったけどこの列車と一体化したから死なないよーん」というまさかのビックリ仕掛けも、ある意味では生首描写のフォローにもなっているという行き届き方である。
まさに映画のレーティングをPG12でなんとか収めた立役者と言っていいだろう。悪名高い無惨様のパワハラ会議を舌先三寸で生き延びただけあって、とにかく空気の読める悪役なのである。
しかも魘夢の素晴らしいところは、最終的にやっつけられる時も「炎柱の煉獄さんは乗客を助けるのに忙しいので、炭治郎たちだけで倒さなくてはならない」という状況を設定し、子供の自立心も育成する点である。
倒されたあとは鬼殺隊のメンバーを一人一人回想モノローグで挙げながら「あいつのこの技のせいだ…そしてあいつのこの技で負けた…しかもあの娘(禰豆子)…鬼じゃないか…」と「一人一人の良かった点、頑張った点」を読み上げていくという、金八先生最終回レベルの褒めて育てる捨て台詞を吐き、最終的には「ああこんなに人質を取ったのに1人も殺せなかった…みじめだ…やり直したいやり直したい…」と言って、「はい、頑張った君たちは全員平等に100点満点でした。悪者は反省し後悔しながら消えていきます」という実に教育的な最後を迎える。実際の話、魘夢はパニック映画の王道である「列車暴走」を盛り上げるだけ盛り上げて、ハラハラさせながら子どもたちの良い所を引き出し、終わってみれば一人の乗客も殺さずにやっつけられるという困難な仕事を見事に成し遂げているのだ。なんという仕事のできる悪党なのだろうか。