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「父に関しては本当に健康で生きてくれたら、まあまあ好きにしてくれって感じで。あまり干渉もしてこないですし、仕事頑張ってるなとか、やっぱりライブでの姿も素敵だなと思うくらいです。父のことは好きですけれど、ちょっとね、チャラチャラしているから(笑)。僕はもう母が一番大事ですよ」。

母の財布に入っていた“肩叩き券”

 とはいえ、「母を大事にする」という生き方にも、父親からの影響はあるのかもしれない。父親は、少年時代のローランドに「男の幸せは、惚れた女に振り回されることだ」と教え、徹底してレディファーストを貫く姿を見せつけた。「僕の母は、外出したときにドアノブに触れることがない」。すべてのドアは母が近づくと、父の手によってスマートに開けられるからだ。

 そんな母をローランドは「真面目というか道徳的な人間というか、彼女がモラルに反する行動を取るのを見たことがない」という。他人に対して正しくいろ、相手を傷つけるような人間にはなるなと教えられた。「僕はテレビに出るときも、誰も傷つけないような発言をしようとか、そういうことは意識してるんですよ。それはやっぱり母の影響じゃないかな」

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 ローランドには、今も鮮明に覚えている光景があるという。「中学生の時、母の財布に僕が幼稚園の頃プレゼントした肩叩き券が大事そうに入っているのが見えて、あの時の気持ちは忘れられないです。生まれ変わってもこの母親の元に生まれてきたいなって。母に関しては世界一の母だと思うぐらい、すごく好きですね」と、一切の照れなく語る。

 ローランドには他にも双子の妹と6歳下の弟がいるが、この双子の妹のことも溺愛しているというから、彼の女性に対する接し方は一貫している(とはいえ、妹からは「キモい」と叱られることもあるという)。高校進学を機に15歳で家を出たローランドが、後にホストとして成功した一因は、この家庭で過ごした時間にもあったのではないだろうか。

帝京高校で思い知らされた“身の丈”

 高校は、スポーツ推薦の特待生として帝京高校へ入学。名門と知られるサッカー部に所属し、親元を離れて寮生活を送ることになった。だが、それまで天才と呼ばれてきたローランドにとって、そこは身の丈を思い知らされる非情な場所でもあった。

「自分は天才ではないんじゃないか」という思いは、実は中学時代から芽生え始めていたという。「小学生のときなんて半径100メートルぐらいの人間関係。その中で一番うまかったら、自分が世界で一番だと錯覚できるんですけど、中学でJリーグの下部組織のチームに入ったら、コミュニティが一気に広がって、自分より上手い人たちの存在を知ってしまった。俺って一番じゃねえんだ、って徐々にわかってしまったんです」

 

 幸か不幸か、彼の世代はいわゆる“プラチナ世代”だった。「日本のサッカー界の中で、もう一番の当たり年だっていう、日本のサッカー史上最も優れた選手たちのいる年代。だから上手いやつ、凄いやつが、高校へ行ったらもっといるわけですよ。それが日本だけじゃなくて、世界を見ればネイマールとか、バルセロナのフィリペ・コウチーニョだったりとか、同じ世代でも凄い選手がいて」。