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 だが、ローランドは諦めなかった。凄い奴らの中で腐ってしまう時期もあったが、自分も負けまいと血の滲むような努力を重ねた。そして高3の年、チームは都大会決勝で敗退。サッカー部では引退を迎え、ローランドのサッカー人生にも終わりが告げられた。

コンプレックスの塊だった

「周りにはプロになってる選手が、同じチームメイトにすらいるわけじゃないですか。自分の身の丈を全部知ってしまった時の絶望感と劣等感とコンプレックス、それこそ世界の全“卑屈な人間”の代表としてスピーチできるぐらいでしたよ」。

 それまで全てを賭けて、ストイックに練習を続けてきた。その結果、彼は「もうピッチには必要ない」と告げられた。天才と言われ、自分でもそう信じ、自己肯定感の塊で育った反動もあったのかもしれない。それまでのローランドの純粋すぎる真っ直ぐさは、人生を呪い、才能のある他人を妬み、自分自身に生まれてきたことを後悔する方へと向かった。

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「自分を嫌いになるって、人生で一番悲しい、やっちゃいけないことなんですよね。でもあの時の僕は、夢も目標も失って、死にながら生きているような感覚でした。なんで俺はこんなに不幸なのにこいつは幸せなんだろう、なんで俺だけが、って。あれだけ頑張ったのに、努力は報われねえじゃねえか、って。無駄な努力はないって大人が言ってたけど、あれは嘘だなとか、もうコンプレックスの塊でした」

なぜホストの道を選んだのか?

 そんなくすんだ思いを抱えたまま、ローランドは先生や両親に勧められるがまま、推薦で大学進学を決めた。そして入学式の日――。新たな人生の幕開けとなるはずだった日に、彼は周りを見渡しながら、「ここは俺の居場所じゃない」という強烈な違和感に、居ても立っても居られなくなった。

 その日が、彼にとって人生の岐路だったことは間違いない。入学式直後に退学届を提出し、大学を早々に辞めたローランドは、新宿ALTAの前に立ってホストクラブのスカウトを待った。「あの日、一番初めに声をかけてきた店に入ろうと思っていたんですよ。運命は運命に任せるタイプなんで。声をかけてきたのは小さな店だったんですけれど、もちろん二つ返事でついて行きました」。

 

 しかし、なぜそこで選んだのがホストだったのか? それは、中学生の時に見たドラマ『夜王』が強い印象に残っていたからだという(※原作・倉科遼、作画・井上紀良による漫画作品。北海道から上京してきた的場遼介が新宿・歌舞伎町を舞台に繰り広げるホストの物語であり、2006年には連続ドラマ化された)。

「ドラマの衝撃が忘れられなくて、17、18のもがいていた時期に漫画を読み直したんです。子供の頃、あれは僕の中でセンセーショナルなドラマだったんですよね。なんだこれ⁉︎って」