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「逆境に立った時にこそ、真価が問われる」先人たちの生き様

 白鵬が今でも「日本の父」と慕う元横綱大鵬の納谷幸喜氏は敗戦国から今日の繁栄へと発展した日本を人間そのものと重ね合わせ、

「逆境に立った時にこそ、その人間の真価が問われる」

 と生前に語っている。納谷氏は横綱昇進から3年近くの頃に内臓疾患で休場すると、山中の寺にこもって心を入れ替えた。その後は2度目の6連覇に45連勝と一時代を築く。「巨人、大鵬、卵焼き」と称された華やかな大スターだが、

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「無意識のうちに寄って、投げた。逆反射神経と呼べるものを稽古で養った」

 と述懐するほどの努力家でもあった。

大鵬 ©️文藝春秋

 横綱昇進から足かけ8年48場所も無休だった白鵬だが、昨年までの3年間は一年の半分以上を休場。しかも負けが続くと即撤退とばかりに途中休場し、全休の際はいかにも決断が早い。逆境をうまくかわし、体調を整えて翌場所に賜杯を抱く生き方はスマートに映る。だが納谷氏だけでなく、先述した偉大な先人たちは栄光の陰に隠れた壮絶な苦闘があるから生きる伝説となった。

©️文藝春秋

 優勝31回の千代の富士は大横綱になっても脱臼癖を抱える肩を強化すべく、

「回数を数える余裕はなかった」

 と稽古場に汗の水たまりができるほど腕立て伏せを繰り返した。北の湖は6場所連続休場と苦しんだ土俵人生の晩年、真夜中に自転車を懸命にこいで故障がちの下半身を鍛え、最後の優勝24回目と念願だった両国国技館こけら落としにこぎ着けた。

千代の富士 ©️文藝春秋

「昼間は人に見られて恥ずかしいから、自転車は夜にしたんだ」

 との照れ笑いも、今は泣かせるエピソードだ。双葉山は69連勝後に不振に陥ると

「信念の歯車が狂った」

 と滝に打たれ、再び優勝回数を積み上げていった。

双葉山

プライドを捨てて向かい合えるか

 努力の形は人それぞれだが、白鵬には先人たちのように懸命な姿をさらけ出すことが必要ではないか。数々の大記録を樹立した大横綱が膝や腰などを痛めて精彩を欠き、果ては新型コロナにまで感染。この苦境をひらりといなさず、プライドを捨てて向かい合えるか。張り手や変化といった小手先のテクニックに頼らず、片足一本で粘ってでも土俵際での逆転勝ちに結び付けるなど、夢中になって白星に食らい付く白鵬が見たい。優勝2回の横綱稀勢の里(現・荒磯親方)が今もファンの心をつかんで離さないのは、けがで思うように動かない体を必死になって動かそうとしたいちずさが勝敗という枠を超えたからだ。

白鵬と稀勢の里 ©️文藝春秋

「いくつ勝った」ではなく、「どう闘ったか」が力士の本質を表す。白鵬は10代の頃に言った。

「どんな時でも落ち着いて。そうすれば、きっとうまくいく。お父さんとお母さんに言われたんだ」

 慌てなくても他人の評価は後からついてくる。第一人者が泥だらけになって再起に挑めば、角界全体の見る目は変わる。土俵際から攻め返す時間とチャンスは、まだある。ここからの白鵬には、力士としての真価がまさに問われている。