山一抗争と今回の分裂抗争の違いは「盃」
山口組が分裂し神戸山口組が結成されたことについて、かつて組織犯罪対策を担当していた警察庁幹部も、「神戸(山口組)側はヤクザの論理からするとありえないことではないか。今回の分裂に伴う対立抗争は、この点について、かつての山一抗争とは違う」とも話す。
山一抗争とは、3代目山口組組長が死去した後に、4代目組長に竹中正久が就任することに納得できなかった一部のグループが一和会を結成。1985年1月には竹中が一和会系のヒットマンに射殺されるなど山口組との間で対立抗争事件を引き起こし、双方で25人が死亡、70人が重軽傷を負った史上最悪の暴力団抗争のことだ。
「山一抗争とは違う」と警察庁幹部が述べたのは、この際には盃を交わしていなかったことが大きく異なっていたからだった。
山口組を全国組織に拡大させた3代目組長の田岡一雄が死去し、4代目組長に竹中が就任する前に、一和会が脱退していたのでいわゆる「逆縁」ではないということだ。
警察の思惑通り進んでいない捜査
「今回の山口組分裂では、出て行った(2次団体の)山健組や宅見組などは、6代目山口組の傘下組織として『親子』の間柄だから、親分に対して盃を突き返したということだ。ただこれは暴力団の内輪の話で、どちらに正統性があるかどうかは警察にとっては問題ではない。警察としては山口組が分裂したことで、双方から対立組織の情報が出てくる。情報が集まりやすいので、事件につなげて双方を弱体化できる可能性は高い」
前出の警察庁幹部は山口組が分裂した当時、このような観測を述べていた。
しかし、分裂から5年が経過して6年目に入り、神戸山口組からの離脱者が相次ぎ6代目山口組に加入するケースが増加傾向となっている。
近年の暴力団構成員は減少傾向にあり暴力団業界全体が縮小し、警察の対策が功を奏しているのは確かだ。とはいえ、山口組分裂問題については警察の思惑通りに進んでいないのが実態だ。(敬称略)