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ヴィジュアル系バンドがメジャー化した90年代後半

「私の世代にとっては、V系の聖地といえば目黒の『鹿鳴館』。『X』とか『BY-SEXUAL』が出てきた頃はまだ『V系』という言葉がなかったので、『お化粧系』や『オケバン』と呼ばれてました。90年代初頭くらいの『LUNA SEA』や『Luis-Mary (ルイ・マリー)』も初期はオケバンと呼ばれていましたね。ヴィジュアル系という呼び方が定着してきたのは、『SHOXX(ショックス)』や『Vicious』(ヴィシャス)」という専門誌が出てきた90年代後半くらいからじゃないですかね」(飯田さん)

 そのブーム最盛期の90年台後半に“バンギャ”だった坂下るいさん(仮名・38歳)は語る。

「『BREAK OUT』っていうテレビ番組があって、そこでドカンと人気が高まったんですよ。その頃に“V系四天王”と呼ばれたのが『MALICE MIZER(マリスミゼル)』『La'cryma Christi(ラクリマ・クリスティー)』『FANATIC◇CRISIS(ファナティッククライシス)』『SHAZNA(シャズナ)』。

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 私たち世代のバンギャは雑誌を切り抜いたり、コスプレしたり、地方まで追っかけたりして夢中になりました。新しいバンドもどんどん出てきて、コテコテメイクの『コテヴィ』、化粧なしでシックな『ソフヴィ』、カジュアルな『オサレ系』と、細分化してそれぞれ派閥が出来たり…」(坂下さん)

かつてAREAの物販で売られていた生写真。上の2枚が「ミルフィネ」と下が「ぐりむ」(坂下さん提供)
こちらの写真は「ヴィドール」。カードは「ぐりむ」(坂下さん提供)

 V系バンドがメジャーシーンで活躍すると、彼らを目指すバンドも増えた。そんなバンドたちの登竜門と言われるようになったのがAREAだった。

「AREAには歴代の出演バンドのサインが飾ってあったりして、聖地という雰囲気がありましたね。客席は3段階になっていて、がっつく人は1段目、バンギャのなかでヒエラルキーが高めの人は2段目の柵前、そこまで目当てのバンドじゃない、という人は3段目という棲み分けができてました」(坂下さん)

ブームが収束しても好きな音楽を追求できた

 しかし、2000年頃にはブームが徐々に収束。04年頃には「the GazettE」「NIGHTMARE(ナイトメア)」「ALICE NINE.」「アンティック-珈琲店-」などと言った「ネオ・ヴィジュアル系」と呼ばれるアイドル性の高いバンドが台頭するも、徐々にメジャーデビューするバンドも減り、メディアに取り上げられることも少なくなっていった。

「でも、現場は変わらず盛り上がっていました。これはV系に限らないんですけど、バンドが自分たちで運営やマネジメントすることが増えてきて、あえてメジャーデビューする意味が無くなってきたんです。CDはインディーズで流通するし、ライブも自分で組んでツアーも回れる。テレビに出なくてもバンドで食べていける方法が確立できているので、今いるファンに向けて好きな音楽を追求することができたんです」(飯田さん)