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 その上で、奴らが強制力をもって戦いを仕掛けてきたら断固として戦う。有効性など考える必要はない。合理性を一切排するところに日本文化の輝きが生まれる。『敵は幾万ありとても我行かん』の気概で戦う。身体の保全より心の保全を優先する。そうすれば靖国の英霊と初めて会話ができる。(前掲書)

 それはなにか別のものと会話しているのでは――。しかし、こんなツッコミも荒谷には届かないだろう。「マスメディアはゴミだと知ってる」のだから。

もともと保守的な思想の持ち主だったが……

 たしかに荒谷は、本人も語るように、自衛隊でもともと保守的な“問題児”だった。

 入隊前より三島由紀夫を信奉し、尊敬する合気道の島田和繁武学師範より「自衛隊に行け!」と言われたときは、「三島由紀夫を罵倒して、誰もついていかなかった自衛隊か」と思いながらも、「自分が入るなら自衛隊を全部変えなきゃいかんな」という意気込みで、幹部自衛官の道に進んだという。そのため、歴史観で同意できなければ教官にも反論。調査隊の監視対象になっても、構わず制服姿で憂国忌(三島の追悼集会)に参加し、靖国神社の清掃奉仕に加わったほどだった(荒谷卓『自分を強くする動じない力』)。

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©️iStock.com

 そのような人物が、特殊部隊の責任者となり、「国を守るとは」「部下の生命を預かるとは」と突き詰めて考えた結果、スピリチュアル系の保守思想にたどり着くのは、それほど不自然なことではない。

 とはいえ、昨今の発言はそれまでの著作の内容にくらべても、明らかに一線を越えている。神武天皇や八紘一宇あたりはともかく、ディープステートはやりすぎだ。

 したがってこの問題は、保守思想や自衛隊云々よりも、もっと広く捉えなければならない。