日本人はシェイクスピアが好きなのか?
ーー「フェイクスピア」というタイトルを聞いたとき、高橋さんはどんなイメージを抱きましたか。
高橋 「フェイクスピア」のためのワークショップをやる前は、そういうタイトルだとは知らなくて、その後、宣伝用ポスター案を見て「フェイクスピア」と書いてあったとき、まず「シェイクスピア」が浮かびました。
去年、ひさしぶりに出演した舞台が「天保十二年のシェイクスピア」という、井上ひさしさんが、シェイクスピアを意識して書かれた作品で、僕が演じた役はリチャード三世など、シェイクスピア作品の登場人物を合わせたような役だったんです。2年連続、シェイクスピアに縁があるなあと。
野田 でもあくまで「フェイク」だからね(笑)。
ーーフェイクとはいえシェイクスピア的な要素が入ってくると考えて良いのでしょうか。
野田 そうですね。セリフや登場人物の人間関係などはシェイクスピア作品を思わせるところもあります。
――シェイクスピアの作品は日本でいえば戦国時代と同時代の作品です。それだけ古いにもかかわらず日本人には馴染みがありますよね。なぜなんでしょう。
高橋 実際、人気があるのか、よくわからないですけれど……。演劇界以外の人たちはどう思っているんでしょう。
野田 演劇界ではよく上演されているけれど、街ゆく人たちに聞いたら「シェイクスピア? なにそれ?」っていう人も多いんじゃないかな。とはいえ、いまなお上演され続けているだけあるシェイクスピアの他が追随できないところは人間のドラマをほぼ網羅していることです。恋愛、家族、権力争い……。それはギリシャ劇なんかもそうですけどね。
高橋 どちらにも普遍性がありますね。
野田 シェイクスピアとギリシャ劇のふたつのジャンルとも、蜷川幸雄さんが上演して一般に広めたものですね。それがなかったらシェイクスピアって何? って思う人はもっと多かったんじゃないかな。
「俺は現代のシェイクスピア」(笑)
ーー野田さんは、日本の現代のシェイクスピアと考えてよろしいでしょうか。
野田 はい。よろしいです。
高橋 即答(笑)。
野田 これ、活字になったときが怖いね。
高橋 怖いです。
野田 「俺は現代のシェイクスピア」だとか見出しになったりして。なんだこいつって思われるっていう(笑)。
高橋 活字になると発言がひとり歩きするからとても怖いです。発言していなくても、発言したことにされてしまうくらいですから。
ーーそういうご懸念もまったくそのとおりで。ネットの時代になって、言葉が拡散する力が大きくなったのと同時に、本来の意味からズレてしまうこともあります。たとえば、俳優の演技に関するニュースもひとり歩きしていきます。最近は、SNSで、あの演技はアドリブだったというような記事がよく読まれるんです。アドリブについておふたりはどう考えますか。
野田 へえ、そうなんだ。アドリブとは、セリフのことを言ってるの? それとも動き?
高橋 セリフもままありますが、主に動きでしょうか。
野田 それ、アドリブじゃないよね。それは演技でしょ。