洋楽カバーである。そのいわゆる、A&R(アーティスト&レパートリー)のセンスこそ、まさに一貫したジャニーさんならではのもの、といっていいだろう。例えば、The Dave Clark Five の『You Got What It Takes』(はじめての世界で)など、洋楽に精通していて初めてピックアップ可能な、日本ではそれほどヒットもしなかった楽曲で、そこにはジャニーズの『チキン・オブ・ザ・シー』などの選曲にも通底する“見識”を垣間見ることが出来るのである。先に述べた『Happy People』の件も、その流れを汲むものであること間違いない。
フォーリーブスに話を戻すと、重要なポイントは、当初メンバーであった永田英二の年齢が低すぎ児童福祉法の関係から脱退を余儀なくされ、代わりに青山孝が加入した結果、グループの方向性が本来目指すべくものとは、微妙に様相を異にするようになったことだ。ま、そのあたりの見立てはあくまで私個人のものではあるにしても、永田英二と青山孝は、それぞれ優れた/秀でた表現者とはいえど発揮される才能にはまったく接点のない二人だったこともたしかで、もし、フォーリーブスがメンバーチェンジをせずにいたのなら、その後のジャニーズ事務所はどのような道を歩んでいたのか。
郷ひろみと豊川誕
同じような意味で、郷ひろみがバーニングに移籍せずジャニーズ事務所に残っていたら、どうなっていたのかというのもあるが、今となってはどちらもせんない話ではある。
いずれにせよ郷ひろみの抜けた穴はそう簡単には埋まらない。急遽デビューさせた豊川誕の、孤児院出身が売りで薄幸な身の上を歌うというコンセプトは、いかんせん暗過ぎた。北公次も似たような出自ではあったのかも知れないが、決してそこまでディープな“闇”を感じさせるキャラクターではなかったと思う。
豊川誕に思うのは、そういった、境遇が殊更に宣伝に利用された問題とは別に、用意された楽曲の、歌謡曲臭の漂い方の半端ではないことで、そうした音楽性は、系譜としては結局途絶えてしまったにせよ、いや、だからこそ! 『星めぐり』や『白い面影』など、ジャニーズ音楽史を語る上で、無視出来ぬ存在を誇る佳曲として、忘れる訳にはいかないだろう。
とはいえ、事務所としてはこの豊川誕の伸び悩み以来、しばらく低空飛行が続くことになるのだが、今振り返れば『サタデーナイト』『ラストショー』のJJSに『ラブ・ショック』の川崎麻世、もろゲイリー・グリッターというかスージー・クアトロな『ジュディ・ランラン』のメッツ、そして妙に和風な内田喜郎などが印象に残る、面白い時代ではあった。ウォッチャーにはこの'70年代をこそ好む“通”も案外多い。