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コロナ禍で可視化された“効率の悪さ”

 こうした議論から見えてくるのは、マルクスの「交換価値」「使用価値」といった言葉が、いまだに “アクチュアリティ(今日性)”を失っていない、ということだ。

斎藤 要するに、私たちの生活にとって、「何がエッセンシャル・ワーク(必要不可欠な仕事)」で、「何がブルシット・ジョブ(クソどうでもいい仕事)か」を露わにしたのが、今回のコロナ禍だった、ということです。グレーバーの本の一番いいところは、「エッセンシャル・ワーク」を軽視して、「ブルシット・ジョブ」ばかりを重視する“資本主義の効率の悪さ”を明らかにしている点です。

池上 その「エッセンシャルなもの」とは、まさにマルクスの言う「使用価値」であるわけですね。コロナ禍においては、「交換価値」で言うと極めて“安い”マスクが“高い”「使用価値」をもつようになり、皆がマスクを求めました。「交換価値」の低いマスクを国内で生産してもペイしないので中国で生産していたけれども、皆がマスクの「使用価値」に改めて目覚めたというわけです。

新たな研究が進んでいるマルクス

斎藤 「ブルシット・ジョブ」がそうであるのは、「使用価値」(効用)をまったく生まない仕事だからです。「使用価値」を生む仕事こそ「エッセンシャル・ワーク」。ところが、そういう生活維持に不可欠な「エッセンシャル・ワーク」を「低賃金」「長時間労働」で“周辺化”するのが資本主義。同じように、資本主義は、水、土壌といった生活維持に不可欠な“自然”も“周辺化”しています。

 つまり、生活維持に必要不可欠なのに、「商品=資本主義」の世界では“周辺化”されて、きちんと評価もされないものがある。とくにソ連崩壊後の30年、グローバル資本主義は、すべてを飲み込んで、「市場メカニズムですべてうまくいく」と突き進んできたわけですが、その帰結を今回のパンデミックがはっきり教えてくれました。つまり、「交換価値」に振り回される愚かさです。だから、この危機は、「使用価値」を大切にする社会に戻るチャンスでもあります。

“ユートピア”を思い描く重要性

 斎藤氏が訴えるのは、冷戦後に封じられてしまった“ユートピア”(=資本主義とは別の社会)を思い描いてみることの大切さだ。

池上 水野和夫さんなどが「利子率の長期的低下」を根拠に「資本主義の行き詰まり」を議論していますが、いま本当に「ポスト資本主義」ということが問題になってきたなかで、一つの方向性を示してくれたのが、斎藤さんの本だと思います。

斎藤 私たちの議論に欠けていたのは“ユートピア”、つまり“別の社会”を思い描くことでした。そうした構想力をあざ笑っていた結果、“現状追認”以外の選択肢がなく、結局、資本の論理の言いなりになっています。

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出典:「文藝春秋」4月号

 池上彰氏と斎藤幸平氏の対談「マルクス『資本論』が人類を救う」の全文は、「文藝春秋」4月号および「文藝春秋digital」に掲載されている。

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