「フランス映画のワンシーンのようだった」。目撃者には、その瞬間の鮮烈な印象だけが残っている。1995年3月30日、警察庁長官・国松孝次を狙撃した長身の男は、黒コートを翻して自転車で走り去った。2010年に時効が成立して、迷宮入りが確定した平成最大のミステリー。捜査迷走の原因を作ったのは、狙撃を自供したオウム真理教信者だった元警官の存在だ。「時効捜査 警察庁長官狙撃事件の深層」の著者、竹内明氏(現TBS報道局長)が葬り去られた捜査資料を紐解くと、そこには組織が抱える闇が広がっていた。
出典:「文藝春秋」2011年12月号(※肩書・年齢等は記事掲載時のまま)
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「池田さん。公安部のマスコミ発表のことで一言いいたいのですがね……」
2011年2月下旬、気を許しあった仲間の宴席が一瞬、張り詰めた。警察庁昭和51年入庁組の数人が集まった同期会で、伊藤茂男が突然、警視総監・池田克彦に詰め寄ったのだ。
宴会のタイミングが悪かった。警視庁はこの直前、「警察庁長官狙撃事件」の捜査に関して、「初動捜査や供述の裏づけ捜査に不備があった」とする「検証結果」を公表していたからだ。
既に警察を退官している伊藤は、狙撃事件発生時の警視庁公安部参事官。その後も公安部長を務めるなど、狙撃事件捜査に最も深く関わった警察キャリアだった。
「警視庁は捜査に関わった100人から聞き取りをしたうえで、初動捜査に問題があったと発表したようだが、私は一度もヒアリングを受けていない。ほかの捜査幹部にも何人か問い合わせたが誰にも話を聞いていないみたいだぞ」
捜査の中心を担った公安部幹部から聴取せずに「検証」と称するのは、国民への背信だと、伊藤は指摘したのだ。
「私たちが批判を浴びるのは仕方が無い。しかし15年経過したものを、書類だけで検証するのは、いかがなものか。これは欠席裁判じゃないか!」
適正なプロセスも踏まず、迷宮入りの原因を、「初動」や「裏づけ」に帰結させるのは、あまりに稚拙で、現実を直視していない。宴席での一部始終を聞いた筆者は、捜査検証結果が象徴する「組織の独善」こそが、捜査失敗の本質だったのかもしれないと、改めて感じたのである。
元巡査長からの電話
元公安一課長の栢木(かやき)國廣は2010年4月の定年退職後、意外な人物からの電話を受けた。
「栢木さん、お元気ですか?」
電話の主は、かつて狙撃を自供した警視庁の元巡査長だった。地元の自動車工場の部品生産ラインで夜間工として働いているはずだ。
「ああ、なんとか頑張っているよ。君こそ元気にやっているのか?」
「大丈夫ですよ。栢木さん、酒でも飲みたいですねー」
場違いな軽さと人懐こさが混在する語り口だった。