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皮膚から侵入した寄生虫が血管を詰まらせる奇病 「日本住血吸虫症」を根絶に導いた医院を探索すると…

2021/05/11
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「杉浦醫院」への道

 杉浦医院は山梨県甲府市に隣接する昭和町という場所にある。私の住む名古屋から山梨へは中央自動車道を通って3時間だ。

 まず愛知県から岐阜県へと入る。岐阜県に入って1時間ほど経つと、全長8.6kmの恵那山トンネルが待ち構える。一旦入ると、走っても走ってもなかなか出口が見えないトンネルは、中央自動車道でもっとも背筋が伸びる時間だ。恵那山トンネルを抜けると長野県に入る。

 中央自動車道はカーブと坂の連続で緊張が続き、心身ともに疲弊する。そんな中、道路の向こうに諏訪湖が見えてくると、やっとここまで来たかと安堵する。諏訪湖は高速道路から見下ろす形で全景が見渡せるのが気持ちいい。

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諏訪湖を見下ろしながら ©あさみん

 諏訪湖までで2時間半。諏訪湖を過ぎるといよいよ山梨県だ。幾重にも連なる山の向こうに、雪をかぶった、ひときわ大きな山が見えてきた。

 富士山だ。

 見慣れない富士山の発見は、いつでも気分が高揚し、旅情を感じる瞬間だ。

 名古屋から3時間。甲府昭和インターで降りる。

 どの街でも見かけるような、道路の両側に大型店舗が並ぶ広い道を走ること、わずか10分。住宅街の細い路地に入ると、まもなく目的地に到着した。

杉浦医院外観 ©あさみん
古民家のような入り口 ©あさみん

 杉浦医院は一見病院には見えないような純和風2階建ての古い家屋だ。入り口には「Dr.Sugiura's Office Physician」と書かれた英字看板と、当時のままの表札「杉浦醫院」が並んでいる。

地方病流行終息の碑 ©あさみん

 また、敷地内には、「地方病流行終息の碑」と書かれた大きな石碑がひっそりと立つ。

 私はここに来るまで「地方病」という言葉に、なにも想像がわかなかった。

代々続く医院が地方病撲滅に尽力した

 ひとまず入ってみようと玄関の扉を開けると、チャイムの音とともに奥から館長が現れた。

 ここへは初めて訪れたことを話すと、地方病について、また杉浦医院について、詳しく丁寧に解説してくださった。

 地方病が流行っていた地域の中でも、杉浦医院のある甲府盆地底部周辺は特に罹患者が多かった。

 杉浦医院の医師、杉浦健造医師と健造の娘婿である三郎医師は、この地で代々続く開業医で、多くの地方病患者の治療に当たり、地方病撲滅に尽力していた。

 杉浦医院は三郎医師が亡くなった1977年(昭和52年)に閉院したが、2010年に昭和町が買い取り、当時と変わらない院内で、杉浦医師父子の業績を顕彰し、地方病終息に至る先人の足跡を伝承している。

 まずは2階の広間でビデオを鑑賞し、地方病について学ぶことになった。

保存された杉浦医院の2階では地方病を紹介する映像が流れていた ©あさみん

 近代医学の知識がなかった時代の人々にとって、この病気の原因はもちろん、予防法、治療法、そしてなぜ特定の地域にばかり発症者が多発するのか、全てが謎に包まれていた。

 1881年(明治14年)8月27日、この病気の原因解明への端緒となる嘆願書が、病気が蔓延している村から山梨県知事へ提出された。

 その後、多くの人々の地道な調査・研究、献体による解剖、動物を使った実験などで、この病気が日本住血吸虫という寄生虫によって起こることや、日本住血吸虫の生活史と感染経路が明らかになる。