1996年まで終息しなかった「地方病」
感染者の糞便とともに排出された日本住血吸虫の卵が水中でふ化し、中間宿主であるミヤイリガイに寄生する。貝中で分裂増殖した後、幼生となるとふたたび水中に泳ぎだし、ヒトなど哺乳類の体内に皮膚を通して侵入することで感染。血管に寄生し、生殖産卵することでさまざまな症状を発症することがわかった。
さらに、ミヤイリガイの生息地が、地方病の流行地と一致することから、ミヤイリガイの駆除が地方病撲滅に効果的であることが判明した。
それからミヤイリガイの駆除が官民一体となり、徹底的に行われた。それは地域住民によって米粒大ほどのミヤイリガイを、箸でつまんで集める方法から、土に埋める埋没法、火力による殺貝、生石灰などによる薬剤の散布、用水路のコンクリート化など、ありとあらゆる方法が行われた。
さらに農耕の機械化、稲作から果樹栽培への産業転換、宅地開発による水田の減少が、新規感染者の減少に拍車をかけた。
こうした多くの先人たちの努力の結果、1996年(平成8年)「地方病終息宣言」が出され、日本では地方病との戦いは終わった。しかしまだ中国や東南アジアなど海外では、日本住血吸虫による感染が収まらず、予防法や治療法の技術や情報が受け継がれているという。
壁には予防啓蒙のために配布された多色刷りの冊子や、「回虫寄生の経路及びその障害と予防」と書かれたポスターが貼られ、予防法や初期症状の様子が、イラストとともにわかりやすく解説されていた。
記された予防法は、野菜は水道水で丁寧に洗うことや、生野菜、一夜漬けの漬物はなるべく食べないこと。
感染した場合の症状としては、頭痛、嘔吐、壁土や灰を食べてしまう嗜好異常、目眩、発熱、腹痛に加え、成績不良にも及ぶと書かれていた。
当時の患者が残した痕跡
1階に降りると、杉浦医院について館長が丁寧に解説してくださった。
杉浦医院では多いときで1日200人もの地方病患者を診察、治療しており、「杉浦医院に行けば地方病が治る」と言われていたという、圧倒的な存在だった。
患者の列は建物の外にまで続き、暑い夏はテントが建てられたほど。建物の壁にはよく見ると、落書きのようなものが残されている。これは行列に並んでいた患者のこどもたちが、待ち時間に描いたものだとか。生々しい筆跡を見ると、病気への不安、回復への期待、治療の恐怖を抱えながら待つ人々と、その一方で無邪気に遊ぶこどもの姿が思い浮かぶ。