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皮膚から侵入した寄生虫が血管を詰まらせる奇病 「日本住血吸虫症」を根絶に導いた医院を探索すると…

2021/05/11
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クラシックな雰囲気が残る院内

 重厚な扉を開けるとまずは受付がある。窓口には、漢数字が書かれた木札が並び、これは今でいう受付票だ。番号が呼ばれたら診察室に入るシステムである。

待合室 ©あさみん
漢数字が記された受付票 ©あさみん

 続いて診察室。当時から変わらないそのままの状態で保存されている診察室には、実際に使用されていた顕微鏡や診察記録などが残されている。1日200人もの患者を診ていたのだが、治療は1本注射を打つのみだったため、それだけ多くの患者でも診ることができた。

三郎医師の唯一の楽しみだった喫煙部屋 ©あさみん
金色であつらえられた調剤室の看板 ©あさみん

 診察室の隣には、レントゲン室、手術室。本棚にはたくさんの医学書や学術書、寄生虫学関連の書籍などが並んでおり、治療と研究が並行して行われていたことがわかる。

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地方病の特効薬「スチブナール」の現物が現在も残されている ©あさみん

 調剤室には、実際に使われた薬品や調剤器具が当時のままの状態で並ぶ。中でも注目なのが、地方病の特効薬であるスチブナールの現物だ。

 これを薄めたものを、1日おきに20回以上に渡って静脈注射していたという。

 スチブナールは血管に寄生した日本住血吸虫を発育不足にして、産卵を抑える効果があった。しかし、体中の関節の激しい痛みや嘔吐など、重い副作用もあり、人々を苦しめた。

当時の診療のさまが浮かび上がってくるような手術室 ©あさみん

 また、杉浦医院にはアメリカ軍の軍医が住み込みをしていた歴史も残っている。

 第二次世界大戦後、多くのアメリカ軍は、アジア占領地域で寄生虫による感染症に悩まされていた。終戦を迎えた昭和20年、アメリカ軍は研究者や医療関係者に地方病の勉強をさせるため、杉浦医院に送り込んだ。

 そのため急遽、トイレは洋式に改装され、シャワー室には「西洋人はとにかく背が高いだろう」と、大きく作られた鏡も見ることができる。

応接室は豪奢な雰囲気 ©あさみん

 応接室にはシャンデリアが輝き、毛足の長い絨毯が敷かれ、とにかく豪華絢爛だ。特にここに置かれているピアノが大変貴重で、平成の天皇がお生まれになった記念に、限定100台で作られた特別なものだ。そのほとんどは東京周辺で売れたようで、限定100台とはいえ、ほとんどが戦争で焼失してしまったとされており、いま日本には皇居に1台、名古屋のはずれに1台、ここに1台しかないという。

平成の天皇がお生まれになった記念に作られたグランドピアノ ©あさみん

 譜面台には鳳凰と菊の模様がくり抜かれ、白鍵は象牙でできており、脚は鶴をイメージしている。