「強い小学生がいるけど大会に出てこない」と言われていた
――ところで、弥(わたる)という名前の漢字は珍しいと思うのですが、ご両親が付けたのですか。
八代 両親が「わたる」と付けたくて、当てはまる漢字を色々調べて決めたということでした。自分の名前の漢字が珍しいことは、小学校に入る頃から気が付いていました。漢和辞典を見るのが好きで2年生の頃だったか「弥」を調べてみました。訓読みで「わた(る)」が見つかって「本当にあった」と思いました。初対面の方は、まず僕の名前が読めないですね。
――八代先生の1学年上、同学年、1学年下にはたくさんの棋士がいます。将棋の強い子は大きな大会で知り合いになっていくことが多く、幼少時からのライバルということも珍しくありません。八代先生はどうだったのでしょうか。
八代 それが、小学生名人戦、倉敷王将戦というメジャーな子ども大会に出たことがありませんでした。静岡県でも県代表を決める大会をやっていたのでしょうけれど、あるのを知らなかったのです。地元の伊東支部(日本将棋連盟には、将棋愛好者で作る支部が全国津々浦々にある)に入っていて、その関係の地元の大会には出ていたのですが。
――それは意外でした。同じ静岡では、1学年下の加藤桃子女流三段が子ども大会で活躍していましたが、知らなかったのでしょうか。
八代 同じ静岡といっても離れているのですが、お互いの地元で評判を聞いていました。僕は支部の方に「静岡市のほうに(※正確には牧之原市)、八代君と同じくらいの小学生で強い子がいて、女の子だ」と聞いていました。桃ちゃんが聞いた僕の評判は「伊東のほうに、強い小学生がいるのだけど、不思議なことに大会に出て来ない」って。僕は単に知らないから出なかっただけなのですが、なんだか謎の少年として認識されていたそうです(笑)。
――メジャーな大会は伊東市から遠い場所で行われることが多く、情報が届かなかったのが、そんな風に思われていたのですね。インターネットはあったけれど、大会情報はあまり載ってなかった時代ですものね。
八代 ただ、JTの子ども大会だけは小学校4、5、6年の3回出ました。伊東市のはずれの我が家から2時間かけて静岡市の会場に行くのは、旅行みたいなものでワクワクしました。母と2人で電車に乗って、地元では滅多にしない外食もできて、たくさん対局すると駒の消しゴムがもらえて(JT、テーブルマークのこども大会は、敗退者の自由対局で、対局数に応じて消しゴムがもらえ、子どもたちは夢中になって集める)いいことずくめでした。
桃ちゃんも出ていて、僕が6年、彼女が5年のときに、桃ちゃんのお母さんが僕が同じ予選ブロックにいるのに気が付きました。予選では、近いタイミングで手合いカードを持ってきた勝った子同士を次に当てるシステムになっていたらしく、桃ちゃんはお母さんに「八代君と予選で当たるとつぶし合いになっちゃうから、タイミングをずらして手合いカードを持っていくのよ」と言われたそうです。
うちの母も僕もそんなことは知らないので、桃ちゃんのお母さんのおかげで予選で当たらずにすみました(笑)。これもずっと後になって聞きました。2人とも勝ち進み、準決勝で当たって僕が勝ち、決勝ステージに上がったのですが、準優勝でした。