――高見七段と同時に三段リーグに上がったのですよね。
八代 はい、2人が高校2年の春に始まる三段リーグからの参戦でした。その時は高見君へのライバル心も相当強く、自分が先に上がりたいと思いました。でも、3期目のリーグで先を走ったのは高見君でした。最終局で八代-高見戦が組まれていたのに、彼は最終局を待たずに四段昇段を決めてしまいました。もちろん昇段が決まったあとの最終局も手を抜いたつもりはないのでしょうけれど、その将棋からは、ムキになって勝ちにくる彼らしさが感じられず、僕は勝っても嬉しくありませんでした。
「俺に出されたら嫌だろう、だから割り勘にしよう」と
――奨励会員と四段では全然立場が違います。先生と呼ぶことはあったのでしょうか。
八代 いえ、高見君もそうですが、先にプロになっていた勇気君も先生と呼んだことはなかった気がします。三段のときは記録係のカードが選べたので、はるか年上の先生の対局ばかり選んで、同世代を先生と呼ぶ機会を作りませんでした。
――やはり、立場が違ってしまうのは悔しいのですね。対等な友達関係でいたい気持ちもあったのでしょうか。
八代 そうですね。すごく覚えているのは、高見君が四段になった直後の三段リーグで、僕は途中まで10連勝とトップを走っていました。そんなときに2人で連盟の近くの中華料理店に行ったのです。
こういう時はプロが奨励会員に奢るのが普通です。そのとき高見は言ったんです、「俺に出されたら嫌だろう」と。「だから割り勘にしよう」って。「もちろん割り勘でお願いしたい」と答えましたよ。高見君はそんな風に気を使えるいいやつなんです。でも、その時は気を使われるのが悔しかった。「絶対に今期で四段に上がってやる!」と思いました。その誓い通りその期で四段に上がることができました。地元の高校を卒業するタイミングでした。
――プロ同士で、タイトルとか優勝とかどちらかの収入が多くなっても奢ったりしないのですか。
八代 高見君とはこの先も絶対にしません。叡王獲得とか、朝日杯優勝とか、どちらかの収入が増えたことはありましたけれど、どんなに相手の収入が増えようと「奢られる」はなしです。(後編へ続く)
写真=石川啓次/文藝春秋