5年生で奨励会試験を受け、厳しい雰囲気にカルチャーショック
――奨励会入りを考えたのはいつ頃でしょうか。
八代 5年生になってプロになりたいという話を支部の人にしました。もともとは、どうしたらプロになれるかも知らないし、将棋が好きでずっと続けたいからプロになりたいという単純な動機で、大変さもまったく分かっていませんでした。僕にも両親にも支部の方がいろいろ教えてくれました。
当時は奨励会に入れる力はまだなく、道場でよく対戦する方には「俺といい勝負じゃまだ無理じゃないか」と言う方もいました。その中で、力が足りなくても一度受けておいたほうがいいと勧めてくれる方がいました。その方が言うには「全国には強い子がたくさんいる。地元のおじいさん達と指しているだけじゃ分からないから、そういう世界を一度見たほうがいい」と。
結局5年生で奨励会試験を受けに行った日に、その方の言っていた意味が分かりました。とにかくピリピリした雰囲気で、将棋でこんな厳しい雰囲気になることがあるんだとカルチャーショックでした。道場では、勝っても負けても楽しく将棋が指せればそれでよく、おじいさんたちに可愛がられながら育った僕は、勝敗の重みを感じることがありませんでした。一次試験で落ちましたが、それが分かっただけでも収穫がありました。
小学校の担任に「俺に勝ったらプロ棋士に会わせてやる」と言われ
――師匠は地元・静岡の青野照市九段です。支部の方に紹介してもらったのでしょうか。
八代 はい。支部の方に青野先生と懇意にしている方がいて、奨励会に入りたい子がいると話を通して、両親と挨拶に行くときも付き添ってくれました。「師匠になって下さい」とお願いしたら、あっさり引き受けてくれました。支部の方のおかげですね。青野先生はその頃、伊東市にお住まいで、支部の大会にもいらしていただいていました。
――では、青野九段は支部の有望少年だった八代先生のこともご存じだったのですね。
八代 そうですね。実は、青野先生とは支部に入るもっと前にお会いしたこともありました。小2の頃の担任の先生が青野先生と知り合いでした。僕の将棋好きを知って「俺に将棋で勝ったら、プロ棋士に会わせてやる」と言われて勝負することに。その頃は級位者だったのですが、先生は初心者で、僕が圧勝して会わせてもらえることになりました。
青野先生のご自宅にお邪魔して、6枚落ちで教えていただいて負け。そのあと色紙に詰将棋を書いていただきました。ちょっとひねった5手詰めで、6枚落ちで負ける級位者にはまず解けないレベル。それが、なぜか「あ、分かった」と僕が言った手が正解。すべての変化を読み切ったわけではなく、当てずっぽうに近かったのですが。まず解けないと思っていた青野先生は、驚いていました。あのときの唖然としたお顔は今でも覚えています。