「女に負けるのは恥」なんて考えはありません
――加藤桃子女流三段と八代先生と同学年の伊藤沙恵女流三段は、長く関東奨励会に在籍していました。初の女性奨励会員だった蛸島彰子女流六段の時代には「女に負けるのは恥」と言われていたそうですが、八代先生の時代は同世代の仲間として受け入れていたのでしょうか。
八代 「女に負けるのは恥」なんて考えはありませんでした。奨励会に入る女性は滅多にいないけれど、強いからこそ入ったのだと思うし。男子とまったく同じ仲間として受け入れたかと言われると、多少違う面はあったと思います。でも、奨励会の仲間と食事をする席に彼女たちがいることも普通にあったし、練習対局はしました。今でも指すことはありますよ。
――伊東の支部に入っていたということですが、将棋を始めてすぐに入ったのですか。
八代 いいえ、初めて父に将棋を教わったのが小1のときで、支部の小さな道場に行くようになったのが小4のときです。
負けても負けても「もう1回」と父に挑んでいた
――将棋を教えてくれたのはお父様だったのですね、どんなきっかけだったのでしょうか。
八代 小1で東伊豆町から隣の伊東市に引っ越した時、荷物から将棋盤が出てきたのです。父が学生の頃に使っていたもので「おお懐かしいな。将棋やってみるか」と私にルールを教えてくれて、対局したのがきっかけです。父は中学校の教師で帰りが遅く、相手をしてもらえるのは週末だけでした。父は初段ないくらいの棋力。
母によると、私は父に負けてばかりだったそうです。負けても負けても「もう1回」と挑んでいて、へこたれないのに感心したと母は言っていました。父の他にも相手が欲しくて2歳下の弟に教えましたが、まるで興味を示しませんでした。父が持っていた詰将棋などの棋書を何冊かくれて、問題を解いたり本にある棋譜を並べたり1人で勉強もしていました。
――将棋が大好きになったけれど、最初のうちは家の中でだけやっていたのですね。
八代 そうですね。将棋が指せる友達はいませんでした。小4のとき近くの図書館で単発の将棋教室が開かれて行ってみました。そこに教えに来ていた伊東支部の人に、「将棋が好きならうちの道場においで」と誘われて、車で20分くらいのところにある道場に通うことになりました。土日に母が送り迎えしてくれました。道場には子どもは僕1人、高齢の方が多かったです。僕が勝てる相手はいなくて、最初は負けてばかりでした。でも、将棋の勉強法とか定跡とかいろいろ教えてもらえて、棋力が伸びていきました。最初は飛車落ちで負けていた人に平手でいい勝負になったり、1年で飛車1枚分は強くなったと思います。