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この情報化の時代に、民主主義が対応できてないのはもったいなくないか

総選挙「コンセンサスのミス」について考えてみる

2017/10/26
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民主主義のコストとは何だろうか

 話を戻すと、これらの民主主義のコストを考えるときに、きょうび民間では意思決定をするにあたってこんな回りくどいことしねえぞ問題というのがあります。仮に多数決をやるにしても、時間をかけて議論するにしても、その業務に無関係な全社員を集めてきて本会議とかやってたらその会社はヤバいわけです。

 また、ある問題は社会的にそれほど重要ではないけど、特定の人達にとっては死活問題であるという政策は山ほどあります。難病支援の問題は闘病している本人だけでなく支える家族も大変な苦労をしているわけですし、逆に表現規制や風俗営業の類は一部の重要と思う人たちとそんなものはさっさと規制しろと考える人たちとの間の綱引きはありますけど、どちらも社会全体からすると瑣末な問題として扱われがちです。

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 そういうとき、国としてどっちに向くべき問題なのかとなると、その問題に通暁した政治家が各党にいて、関係団体などからのロビーや行政各省庁からのレクを受けながら態度を決め、新法を作ったり法改正をしたりして、予算をつけてようやく国が動きます。でも、そういう働きかけというのはそれこそ問題提起から実際に事が動くまでに10年近くかかるのもザラで、それまでの間は救済されるべき人が救済されなかったり、国際競争力に晒されてすでに敗戦模様になってからようやく国が政策を立ち上げる、みたいなことが容易に起きてしまいます。

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全体の公益と、思い込みの強い反対と

 もちろん、喫煙の問題や業界向けの助成金、国家の調達といった、利権とか利害関係ともろに結びつく政策も多数あるので、わいわい議論になることだってたくさんあるわけですけれども、例えば陳情やお役所のやるパブリックコメントについては、組織的に行動したり、声の大きいものが通ることがままあります。もちろん、声が大きいことはそこにぶら下がっている人たちが多いのだという正義もあるのでしょう。一方、受動喫煙問題のように、広く国民の健康に関わる重大事項であるにも関わらず、従来からのたばこ議連も含めたJT以下各業者の事業の都合が優先されるケースを始め、少し前までは虫歯防止のために水道水にフッ素をわずかに混ぜる政策が論議されたり、最近では子宮頸がん予防のためのワクチンが日本でだけ推奨されず国際的に馬鹿にされるという愚が発生します。

 みんなが事情を知れば、全体の公益になるべき政策が、事業の都合や思い込みの強い反対派の大きい声に遮断され、待機児童がこれだけいるにも関わらず保育園・幼稚園の建設で地域住民の反対の大声に晒されて開園が見送られるというようなある種の「コンセンサスのミス」は、いまの民主主義のあり方では軌道修正に時間がかかりすぎるのではないか、と思うのです。