リーの涙の意味を思いながら観た映画
実は、この作品を観ると思い出すことがある。中日ドラゴンズでプレーしていた90年のシーズンオフ、ロッテ時代にチームメイトだったリー兄弟の兄レロン・リーをサンフランシスコに訪ねた。ちょうど地元のプロフットボールチーム・フォーティナイナーズがリーグ・チャンピオンシップに進出していたので、私がチケットを取ってリー夫妻を試合に招待した。この時のフォーティナイナーズは、名クォーターバックのジョー・モンタナを中心に、史上初の3連覇に向かっていた。結果的にはモンタナが潰されて負傷退場し、ニューヨーク・ジャイアンツに敗れてしまったのだが、私はそんな歴史的試合を目の当たりにしたという感動とともに、試合前のセレモニーでアメリカ国歌が流れると、リーがぽろぽろと涙を流したのに驚かされた。
「アメリカ国民の中には、湾岸戦争で戦地に赴いている者もいる。自分がここでこうしてフットボールの試合を観戦できるなんて......」
53(昭和28)年生まれの私が「戦後生まれ」と言われているように、第二次世界大戦以後の日本は“戦後”である。戦争がもたらす悲劇や悲惨さを親や学校の先生などから聞かされたり、本で読んでいるとはいえ、私は実際には戦争を知らない。しかし、私より五歳上で、ほぼ同世代と言っていいリーには“戦後”という感覚がない。そのリーが流した涙の理由を知り、戦争というものに対する受け止め方の違いを実感させられるという経験をこの時にしていたので、ほどなく鑑賞した『プリティ・リーグ』でも、リーのようなアメリカ人の戦争に対する感覚を思い浮かべながらストーリーを追ったものだ。
こうして野球映画について振り返ってみても、私が好むのは『プリティ・リーグ』などの実話もの、また『がんばれ! ベアーズ』のような完全なる創作ものになるようだ。トム・セレックが中日ドラゴンズの助っ人を演じた『ミスター・ベースボール』(1992年)では、プレーの場面に元プロ選手を起用していたり、長嶋一茂が主演した『ミスター・ルーキー』(2002年)では、対戦相手を現役の社会人野球選手が演じていた。そうやって制作者はできる限りのリアリティを追求し、それは一般の方には評判だったようだが、私にとっては「う~ん」という内容だった。しかし、何度か書いているように、映画とは自分にとって楽しい作品ならばいいのだ。日本人に占める元プロ野球選手の割合を考えれば、野球映画に関するこうした私の観方は少数派であることに間違いないのだから。