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2021/09/13

genre : ライフ, 歴史, , 社会

南口の昭島市側に出てみよう

 そんな国道16号を歩いて進み、線路を跨いで南口側、つまり昭島市側に出る。拝島駅にとっての正面(中心)は南口側にあるらしい。その証拠に、駅前広場は実に広々と立派だし、その広場の脇の路地にはスナックやラウンジ、居酒屋などが入った雑居ビルが建ち並ぶ。歓楽街というほどではないが、周囲がほとんど住宅地という拝島の街にとってはここだけが小さな繁華街の顔を持つ。

 

 駅前広場は真新しいし、橋上駅舎も2010年に完成したばかり。ただ、駅の脇の小さな繁華街にはどことなく昭和の香りも漂っていて、交通の要衝としての拝島の賑わいがうかがえる。まあ、いまの世情ではスナックもラウンジも明かりがともることはないのでしょうね……。

 
 

「それらをまとめて“不要不急線”という」

 拝島駅が開業したのは1894年のことだ。最初に拝島に来た路線は現在のJR青梅線、当時は私鉄の青梅鉄道(のち青梅電気鉄道)といった。それから長らく拝島駅は青梅電気鉄道一本槍でやってきて、約30年後の1925年に現在の五日市線、五日市鉄道が乗り入れる。八高線は1931年、西武拝島線はだいぶ遅れて戦後の1968年である。

 

 いまの五日市線は拝島駅で青梅線から分岐する形だが、かつては立川まで独自の路線を持っていて、拝島駅のすぐ南側から多摩川方面にルートを取っていた。戦時中の1944年に青梅電気鉄道と五日市鉄道がともに国有化されて青梅線・五日市線となり、五日市線立川~拝島間は廃止されている。少しの鉄も惜しい時代に青梅線と並行している五日市線は必要ない、というわけだ。この時期には似たような理由で多くの路線が廃止されており、それらをまとめて“不要不急線”という。どこかでよく聞く言葉ですね……。

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