話題になった『2050年のメディア』が通史とすれば、新刊の『2050年のジャーナリスト』は列伝。経営者から前線の記者・編集者、そしてエンジニアに至るまで。激動するメディアの未来を予見する同書から、著者であるノンフィクション作家の下山進氏がハイライトする。
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『2050年のメディア』という本で、読売、日経、ヤフーを舞台にしてこの四半世紀のメディアの変貌を描いた。
「読売はこのままでは持たんぞ」という読売主筆、渡邉恒雄のセリフで始まるこの本は、いわば通史。しかし、通史を書いているなかで、こぼれてしまった話もあった。
『2050年のメディア』では、ヤフーに対抗して読売、日経、朝日が2008年にスタートさせたニュースのポータルサイト「あらたにす」の興亡が前半の山場になっている。各社の思惑の違いと、ヤフーの智恵によって「あらたにす」は2012年には閉鎖される。このとき、朝日新聞から参加した田仲拓二は、後に朝日放送で、「あらたにす」のラジオ版radikoを、朝日放送の天才エンジニア香取啓志を後押しする形でつくりあげている。
ヤフーやグーグルなどのプラットフォーマーではなく、コンテンツをつくっている側が集まってプラットフォームをインターネット上につくる。「あらたにす」は「紙」からネットへの跳躍だったが、radikoは、「放送」からネットへの跳躍であった。
だが、この田仲のリターンマッチは通史では、書くことはできなかった。それはまた別の話だからだ。
『新選組血風録』のような列伝
2019年の12月に当時サンデー毎日の編集長だった隈元浩彦さんと、同編集部の向井徹さんが訪ねてこられ、同誌上での連載を依頼された時に、「『燃えよ剣』に対する『新選組血風録』のようなものなら」とお答えしたのは、そうした通史からこぼれた人や話を書けるからと思ったからだった。『燃えよ剣』も『新選組血風録』も、司馬遼太郎の作品だが、同じ新選組を前者は通史で、後者は連作短編による列伝で描いている。
たとえば『燃えよ剣』では、さらっとしか書かれていない武田観柳斎という五番隊組長がいる。その武田が『新選組血風録』の連作短編のひとつ「鴨川銭取橋」では主役になる。
伊東甲子太郎とならぶ学のある人物として近藤がとりあげた武田が、組の追い手である斎藤一に、「鴨川沿いの細流にかかる銭取橋」で暗殺されるまでを描いているのだが、本編ではほんの脇役にすぎなかった武田が名人の手によって生き生きと動き出し、息を呑むような緊迫感で最後のシーンまで疾風のように駆け抜ける。
武田は腰をひねるなり抜き打ちで斎藤の面上に浴せかけたが、斎藤の撃ちのほうが一瞬はやい。キラリと抜きあわせるなり逆胴を真二つに抜きうって、数間むこうに飛んでいた。武田観柳斎、即死。
そんなラストに大学時代からしびれていた私としては、こういう列伝が書ければな、とずっと思っていたのだった。
しかも、メディアというしばりをもって。