50パーセントの確率で遺伝し、その遺伝子変異を受け継げば、100パーセント発症する。しかもその発症は若年。アルツハイマー病の解明は、この遺伝性アルツハイマー病の家系の人々の苦しみの上に築かれた。遺伝子の特定からトランスジェニック・マウスの開発。ワクチン療法から抗体薬へ――。

 この20年のアルツハイマー病解明の道筋を人間ドラマとして描き出した『アルツハイマー征服』(KADOKAWA)。その著者であるノンフィクション作家の下山進氏が解説する。

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 遺伝性のアルツハイマー病はアルツハイマー病全体の1パーセントほどです。しかし、その突然変異を持っていると、50パーセントの確率で次世代にその突然変異が受け継がれ、その突然変異が受け継がれれば100パーセント発症する。しかもその発症の年齢は、40代、50代といった若年、なかには20代で発症というケースもあります。

 しかし、遺伝性のアルツハイマー病は、人間の寿命が50歳だったころはほとんど問題になりませんでした。なぜなら、発症する前に寿命で死んでしまっていたからです。日本でも、明治時代の平均寿命は男性で42.8歳、女性で44.3歳。これが50歳を越えるようになるのは、戦後になってからです。

 男性の寿命が70歳を越えるようになると日本でも、アルツハイマー病が深刻な病として人々の間に認識され始めます。有吉佐和子が『恍惚の人』を書いてベストセラーになるのが1972年。東京都が老人総合研究所を設立したのも同じ年でした。

遺伝子の突然変異を探る

 1990年代になると、遺伝子工学の発展によって、様々な遺伝病は、遺伝子のどこに突然変異が起こっているのかがわかるようになります。

 遺伝性アルツハイマー病の家系は世界中に散らばっていますが、日本でも東北地方のある家系に注目した科学者たちがいました。弘前大学の医学部と国立武蔵医療センターは、共同でこの家系のひとたちを説得し、血液を採取、その突然変異を探ろうとします。

田﨑博一(たさき・ひろいち)。弘前大学医学部は1970年代から遺伝性のアルツハイマー病の家系を追っていた。田﨑は1990年代前半、遺伝子の突然変異を特定する調査の主要メンバーだった。現在も、地元の病院長として患者を診続けている。

 アルツハイマー病遺伝子プレセニリン1は、タッチの差でカナダのピーター・ヒスロップが1995年に発見しますが、この日本のチームも800万塩基に絞り込むまで肉薄していたのです。

 しかし、こうした突然変異がわかったあとにどうするかという問題が、調査にあたった医者たちには残されました。当時弘前大学医学部にいた田﨑博一は、その結果について、協力をしてもらった一族の人々に伝えるかどうかについて悩みます。突然変異が陽性だった人には伝えても治療法はないのです。そうした調査の際の倫理規定やプロトコルも当時はまだありませんでした。