栗山英樹監督が大谷の初完封について「久慈さんに感謝だよね」とコメント
久慈が鬼籍に入って七十数年後に札幌を本拠地とする日ハムから久慈と同じ岩手出身の大谷翔平が、ベーブ・ルース以来という二刀流に挑戦した。その後エンゼルスに行き、ベースボールを愛するすべての人たちから愛される存在になっている。
久慈と大谷の不思議な縁は、それだけではない。大谷がプロ入り初完封したのは2014年5月13日の函館オーシャンスタジアムでの西武戦だった(スコアは3-0)。当時の栗山英樹監督は、大谷の初完封について「久慈さんに感謝だよね」と話している。
この日、栗山はグラウンドへ入る前に球場前に鎮座する久慈次郎の銅像へ歩み寄り、両手に2杯のコーヒーを持ち、像の前に1杯を置き「久慈さん、コーヒーですよ」と語りかけ、脱帽して黙礼した。前日には久慈が眠る函館市内の称名寺へ行き、墓前で正座をして合掌したという。栗山は「野球の神様」の存在を公言する野球人でもある。
当時の大谷に久慈のことを聞くと「同じ岩手なので知っています」程度の答えしか返って来なかったが、岩手・花巻東高校出身の大谷が久慈の存在を知らないはずはない。
大谷の2021年シーズンの大活躍で「太平洋の橋」はより強固に
こうした縁から岩手めんこいテレビのプロデューサーとともにロサンゼルスに飛び、冒頭に記したように最終戦で大谷を取材した。その日は久慈の120回目の誕生日にあたる日だった。3打席凡退した大谷は9回裏に逆転サヨナラのきっかけとなるクリーンヒットを放った。
2018年12月1日に岩手ローカルで放送された1時間番組「久慈次郎、ベーブ・ルース、大谷翔平~太平洋の橋となった野球人」で、ベーブ・ルース博物館のショーン・ハーン館長は「ショウヘイは、ルースと投打にわたって比較できる唯一の選手」という言葉も伝えている。
コロナに沈んでいた日米の野球ファンを喜ばせた大谷の2021年シーズンの大活躍で久慈とルースが最初に懸けた「太平洋の橋」は、より強固になった。野球の神様は、次にどんなエキサイト・シーンを私たちに見せてくれようとしているのだろうか。
黒田 伸(くろだ・しん)
ジャーナリスト。元北海道新聞編集委員。北海道教育大学非常勤講師「スポーツ・ジャーナリズム論」。北海道北広島市のコミュニティ放送FMメイプル・きたひろボールパークラジオ代表、パーソナリティー。1957年、鹿児島県出身。早稲田大学社会科学部卒。2011年7月からフリー。スポーツ取材のほか原子力、宇宙開発、自衛隊などをテーマに雑誌などに寄稿。著書に「田中将大ヒーローのすべて」(北海道新聞社刊)、「剛腕新伝説」(響文社刊)など。