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真っ黒なつゆ、アゴ崩壊の絶品「げそ天」、黄色い看板…みんなが知らない、魅惑の立ち食い「六文そば」の世界

2022/01/04
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「六文そば」では創業当初は墨田区の製麺所から麺を買っていたそうである。しかし、すぐに、そばやうどんの製造・卸を手掛ける「興和物産」(埼玉県川越市)の茹麺を使用するようになった。「六文そば」はすべての店で興和物産の麺を使用している。六文そばは、興和物産とともに歩んできたといってもいいだろう。

「六文そば」の歴史に触れるチャンスが到来

 2013年、拙著「ちょっとそばでも」(廣済堂出版)を上梓する際に、「六文そば中延店」の鈴木店主を取材した。そしてだんだんと「六文そば」の歴史をおぼろげながら知ることとなった。しかし、鈴木店主も多くは語らず、2021年8月に急逝されて事実は闇の中になっている。しかし、筆者は今まで関係者から聞き知ったことを細々とつなぎ合わせていく作業を続けてきた。今回はその「六文そばの歴史」について少しだけご紹介しようと思う。

「六文そば」は昭和の高度成長経済の真っただ中、1970年に設立された「株式会社そばのスエヒロ」の直営ブランドとして誕生した。福田氏(故人)が代表となり数名の男たちが集まった。「六文そば」の味は、この人の味覚が基本となっている。

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店のマークは屋台を担ぐ姿である

 店名の由来は、一説によると六文はちょうど当時の金額で200~300円程度だということから、「小遣いの範囲で食べることができるそば屋」という意味でつけたという。店の看板には、江戸時代を彷彿とさせる屋台を担ぐそば屋の姿が描かれている。

 まず、1971年に千代田区外神田で「スエヒロ」を開業。その後、数店の直営店「六文そば」を開業した。「日本橋三越前店」「神田須田町店」などである。

 時を同じくして、マクドナルド日本第1号店が銀座にオープン。ちなみに「名代富士そば」は1966年、「小諸そば」は1974年創業。外食産業の胎動がはじまった時期に、「六文そば」は誕生したわけである。

千代田区外神田で「スエヒロ」は1971年に開店した
六文そば神田須田町店(2019年9月撮影)

次第に行き詰るフランチャイズビジネス

「そばのスエヒロ」は70年代にフランチャイズ展開を促進し、都内を中心に多数開店していった。「八丁堀スエヒロ」「銀座スエヒロ」は、その頃の創業である。