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NHK広報室が「フジテレビの方に出る歌手は『紅白』は辞退してもらう」

 日本の出演者交渉も難航した。当時、こんな記事が一般紙をも賑わせていた。

〈NHK音楽芸能部の益弘泰男チーフプロデューサーは、「フジテレビに出たい歌手には出演交渉しない方針で、それに基づいて紅白四十組を決めた。従って重複する歌手はいない」と語る。NHK広報室も「フジテレビの方に出る歌手は『紅白』は辞退してもらう」と強気だ。〉(1985年12月3日・読売新聞)

 裏番組の『NHK紅白』が、いかに『世界紅白』を恐れていたかを窺える記述だ。

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「特に何か言われたってことはないですよ。日本の出演者はどうやって決めたのかな。NHKの紅白から外れた人たちをキャスティングしていたと思いますよ」

1985年12月31日の読売新聞テレビ欄「世界紅白歌合戦」の出演者がわかる

 当日の新聞のテレビ欄には〈西城秀樹 布施明 谷村新司 高中正義 小林明子 菊池桃子 少年隊 チャゲ&飛鳥 アン・ルイス ルック 稲垣潤一 斉藤由貴 おニャン子クラブ 杏里 ハウンドドッグ〉(1985年12月31日・朝日新聞)という15組の出演者が並んでいる。紅白不出場のメンバーが揃った。

「僕たちの仕事は時代の先取りをして、最先端の技術を取り入れ、アーティストにフィードバックしていく必要があります。あの時は、衛星中継がそれに当てはまった。『世界紅白』では、外タレと日本の歌手が同じステージで歌うこともありました。共演すれば、歌手が刺激を受けてさらに良いものを作るキッカケにもなる。そんな狙いもありました」

1986年12月31日の日本経済新聞に掲載された「世界紅白歌合戦」の広告

チャゲ&飛鳥は、『世界紅白』に触発されてアルバムを制作した

 翌年にはロッド・スチュワートやマドンナ、ジャネット・ジャクソンも出演。ロンドンから登場したチャゲ&飛鳥は、『世界紅白』に触発されてアルバム『Mr.ASIA』(1987年5月21日発売)を制作した。

〈A(編集部注・飛鳥) 向こうのアーティストやスタッフの前で歌った。ゾクゾクしたね。向こうの連中がどう思うかなんて想像もできなかったけど、“負けない!”って気迫はあったと思う。
 

C(編集部注・チャゲ) ペットショップボーイズ、ティアーズ・フォー・フィアーズとかいたよ。


A ロンドンのアーティストの前で胸を張って歌った。


C 「指環が泣いた」を歌った。


A そのときの気持ちが「Mr.ASIA」になった。〉(1992年6月号・月刊カドカワ)