文春オンライン

「ものまねが本物を復活させるって、何なんだよ(笑)」評論家・中野剛志と作家・適菜収が語る、ものまね界の“人間国宝”コロッケの凄さ

『思想の免疫力 賢者はいかにして危機を乗り越えたか』より #2

note

適菜 それが芸の本質であり、ベルグソンの言うようにベールを剥がすわけですね。コロッケが野口五郎(1956-)のものまねをやるときに、唄いながら鼻をほじって鼻くそをパクッと食べるじゃないですか。もちろん、本物の野口五郎はそんなことはやらない。しかし、コロッケは野口五郎本人よりも、野口五郎がやりそうなことを見抜くわけです。

中野 ホリ(1977-)が木村拓哉(1972-)のものまねをするでしょう。「ちょ、待てよ」と。でも、木村本人は「ちょ、待てよ」ってセリフ言ったことがないんですって。そういうことを言っているような感じがするというだけなんです。

 Gたかし(1978-)という藤原竜也(1982-)のものまねをする芸人がいるのですが、彼が床にひっくり返って「床がキンキンに冷えてやがるよ~!」って叫ぶんですよ。それを藤原の目の前でやったのをテレビで見たことがあるのですが、藤原は最初笑ってたんだけどムッとして「俺、そんなこと言ってないですよ」って。

ADVERTISEMENT

適菜 それはすごい。言っていないのに、本人よりも言いそうなことを言う。巨匠清水ミチコ(1960-)の松任谷由実(1954-)や矢野顕子(1955-)のものまね芸に近いですね。

 そう言えば清水ミチコは矢野顕子のものまねをするときに、いたこみたいに矢野を降ろすんです。まさに「憑依」です。

中野 われわれは、ものを見たり聞いたりするときも、正確に理解などしていない可能性がある。結構恐ろしい話です。

 ところで、ものまね芸は、ラスベガスでもマイケル・ジャクソン(1958-2009)やエルヴィス・プレスリー(1935-77)のまねをしている芸人がたくさんいますが、日本のものまね芸は傑出しているのではないですか。

適菜 この対談でも述べてきたように、特に日本の芸能では、型と修業を重視します。それと関係あると思います。芸能は型を叩き込みますよね。世阿弥(1363?-1443?)が『風姿花伝』で言っているのは、芸の本質はものまねということです。能のもとになった猿楽の基本は「ものまね」ですが、世阿弥はそこに貴族・武家社会が尊んだ「幽玄」を組み込んだわけですね。

 世阿弥は稽古の順番として、最初に徹底的に写実的な「ものまね」を身につけろと言います。《物まねの品々、筆につくしがたし。さりながら、この道の肝要なれば、その品々を、いかにもいかにも嗜むべし》と。稽古とは古(いにしえ)を稽(かんが)えることであり、物を学ぶのが物学(ものまね)なんですね。

 そういう写実的なものまねを極めた後に、型破り、ブレイクスルーは発生する。「ものまね」の最終的な境地は、《物まねに似せぬ位あるべし。物まねを究めて、そのものに真に成り入りぬれば、似せんと思ふ心なし》なんですね。君島遼もビューティーこくぶ(1973-)も、ミラクルひかる(1980-)もそういうものをもっていますね。ちなみに、君島遼は芸名を本名の「柳元りょう」に改名したそうです。

適菜収氏 ©文藝春秋

ミラクルひかると坂本冬休みのものまねは…

中野 ミラクルひかるが広瀬香美(1966-)のものまねをやっていて、テレビで見たら死ぬかと思うほど笑ってしまった。よく見るとあまり似てないんだけど、何回ユーチューブで見ても笑ってしまう。あのデフォルメするところは、いつも同じところで笑っちゃう。

 中毒性があるんですよ。しかも、本物の広瀬香美の歌よりも耳心地が良くて、何度も再生してしまった。あれは何なんだろう?やばいわ、あれ。危険な領域にある。