昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

2022/04/05

ベトナム戦争いまだ終わらず《埼玉県越谷市:南和寺》

 埼玉県越谷市の「南和寺」(Chùa Nam Hòa)は2006年1月に作られた。日本国内のベトナム寺のなかでは古刹(こさつ)だ。

 かつて1970年代後半から80年代にかけて、ベトナム戦争終結後の社会混乱により、南ベトナム地域の住民たちが大量にボートピープルとなり難民化、やがて日本は他国と協調する形で、おおむね8600人程度のベトナム難民(ラオスやカンボジアを含めると約1.1万人)を国内に受け入れた。南和寺は主にこのとき定住した元難民やその子孫が、お金を出し合って建立したという。

南和寺。日本国内のベトナム寺は、テト(旧正月)のときにムアラン(ベトナム式獅子舞)をおこない、信者たちが正月のお参りにやってくるなど、日本人にとっての「神社」に近い役割も果たしている。関係者写真提供。
茨城県鉾田市内の農場で出会ったベトナム人技能実習生。他の会社の同胞とヨコのつながりを持つことを、職場から禁じられている例も多いのだが、寺や教会に行けば仲間ができる。2021年9月17日。撮影:Soichiro Koriyama

 日本国内のベトナム寺は、それぞれのルーツをたどると、この南和寺のように祖国の共産化を嫌ったベトナム難民が建てた寺(南ベトナム系)と、先の本庄市の大恩寺のように現在のベトナム政府との良好な関係のなかで建てられた寺(北ベトナム系)の2パターンが存在する。ただし、両者に教義面の違いはほぼなく、参拝者たちもあまり建立の経緯を気にしていないようだ。

 この南和寺、私は2013年末から翌年初頭にかけて数回取材に行ったことがあるのだが、近年はなかなか行けていない。寺に詳しい友人によると、最近は出稼ぎ目的で来日した技能実習生や、留学生らのニューカマーの参拝者が増加しており、インドシナ難民とその子弟が中心だった時代とは雰囲気が変わったという。

「旧正月に一緒に獅子舞をやっていたお兄さんが、実は不法滞在者だったと後になってから知りました(笑)」とは彼の弁である。

この記事の写真(8枚)

+全表示

ツイッターをフォローして最新記事をいち早く読もう

文春オンラインをフォロー
z