アウェイ感満載の現場
ディレクションをされる男性は、機械音声の制作担当者だった。
「機械の音声には適した声というのがあるんだよね、あなたの声がそうかどうかはわからないけれど、パナソニックさんがあなたがいいって言うから……」なるほど、このキャスティングに疑問をおもちなわけか……。
「よくトラックがバックするときに『バックします』という音声が流れるでしょう? あの『ク』の音を出すのが難しくて今まではどうしても『バッします』となっていたのを『バックします』と初めてはっきり音が出るように作れたのがうちの会社なんです」はっきりクリアな音声に自信をお持ちなのね。
「だからあなたの声が向いているかどうかはともかく、そういうふうに録りたいので、とりあえずやってみましょう」ものすごいアウェイ感。
私の偏見かもしれないけれど、“まったく歓迎されていない”と思った。こんな現場は初めてだ。これは大変だぞ、と大きくため息をつきながらふと目をやると、「怒らないでね」と約束を迫った社長さんが、眉をハの字にして“ごめんね”と言うようにうなずいていた。
「まずサンプル音声を作ります」と、いきなり耳元にカンカンとリズムを刻む音が流れた。「ドライバーの運転の妨げにならないように一定のリズムとスピード感で情報を提供することが大切なんです。この音に乗るイメージで、何度か言ってみてください」
(カンカン)「ETCカードが挿入されました」
(カンカン)「ETCカードが挿入されました」
何度も何度も同じ言葉を繰り返して、「もっと高音で」とか「もっとリズムを大切にして」とかダメ出しを頂いて、やっと一つのサンプルを作ることができた。ほっとしたのも束の間、「カンカンの後このサンプルを流しますから、言い方を合わせて次の文言を読んでください」
「(カンカン)(ETCカードが挿入されました)」とここまで聞いてからやっと、「カード有効期限は2022年8月です」と言えるのだ。皆さんが聞いたことのある言葉のすべてがこのやり方を繰り返して収録したものなので、私は自分のサンプル音声を何回聞いたかわからない。
その作業が2時間近く続いた頃には「ETCカードが挿入されました」を聞くたびに何かに追いかけられているような気持ちになって、「誰か音声を止めて~! 私をここから出して~!」と叫びたくなってしまったほどだった。