時代に置いていかれたテラさん
――あえて当時の流行を追わなかった?
(A) 当時は、戦後に手塚先生が開発したストーリー漫画が主流になっていました。今までになかった、映画のような漫画です。映画を作るとなると莫大なお金がかかるけど、漫画だったらひとりでも映画のような壮大な物語を描くことができる。そこが漫画の大きな魅力だったし、みんなそれをやりたくて上京してきたんです。
――テラさんは、そうではなかった。
(A) テラさんの漫画は、僕らの系列の漫画とは全然違いました。彼は戦前から活躍していた井上一雄さんの描く野球漫画のファンで、彼自身もスポーツ漫画しか描かない。その内容は「大人が子供にいろいろなことを教える」というものです。
――映画の中で、編集者がテラさんの漫画を読んで、「修身(道徳)の教科書を作ってるんじゃないんだから」と言うシーンがあります。つまり、やや説教臭いと。
(A) 客観的に見れば、そうかもしれません。時代が進み、漫画雑誌がいくつも創刊され、読者の人気が雑誌の売れ行きを左右するようになる中で、テラさんの漫画は明らかに“人気の出る漫画”じゃなくなっていきました。そのシーンでは、編集者がテラさんに「時代に乗り遅れちゃいますよ。それくらい、君だってわかるだろう」と言いますが、テラさんは「わかりたくないです」と答える。時代に遅れてもいいけど、自分はこういう漫画し描かない。人気なんて関係なく、自分の信念を持って描くんだと。
僕は当時、そういうテラさんを見て、このままだとテラさんが漫画家として活動を続けるのは無理なんじゃないかなって思いました。トキワ荘のみんなもそう感じてたんじゃないかな。口に出しては言えなかったですけど。
藤本氏は純粋に子供の気持ちを表現
――藤子不二雄としては、時代の変化にどう対応しようとしたんですか。
(A) 僕はいい加減だから、テラさんと違って、あまりそういうことを深刻に考えない。風向きを見て、ころっと変わるたちです(笑)。一方の藤本氏は、テラさん以上に自分の信念を曲げない人だったけど、やっぱりテラさんとは違った。テラさんは、子供に対して大人からの目線で描くから説教に見えてしまうけど、藤本氏の描く漫画は子供を喜ばせる。純粋に、子供の気持ちを表現していました。